私事その8

過ごしやすい秋の日ですね、 ウトウトと お昼寝してしまいました。

午前中 思い立って突然キッチン周りの 拭き掃除を行いましたが。

汚れが酷く 疲れ果てました。お昼寝はそのせいでしょうか?

国連総会の演説とオバマ大統領とプーチン氏の会談は 思った通りでした、

シリア問題に対する 両国の違いが浮き彫りに成りましたね。

c0192063_13271648.jpg


BBCのニュースでは 北海の油田探査から 

ローヤル・ダッジ・シエlルが中止、撤退を発表し、環境団体は歓迎の意を表明しました。

中々今までは 表面には出て来なかった ロンドン在住のアイマン・アサファリが

インタビュー記事になっています、

シリアNO1の石油関連会社で 大財閥のCEOで 実質的なシリア国民連合の

スポンサーです、北海油田探査にも関係していたのですが、

シリアへのロシアの本格的介入が決まり、石油メジャーも方針を変えたようです。

アイマン・アサファリの後ろ盾スポンサーは 

ロスチャイルド系のゴールドマン・サックスです、もうお解りですね。

ウクライナが紛争になり ウクライナ東部で現在も続く紛争状態に成った時に

シエール・ガスの探査から 石油メジャーシエブロンが 撤退を表明し、

その後直ぐ アメリカ副大統領バイデンの長男で州知事が 亡くなりました。

アメリカでは美談として放送し バイデン副大統領が 大統領選に民主党から

出馬すると 煽り立てましたが 現在まで出馬するとは言ってません。


ウクライナのシエールガス、シリアの石油 

全てに石油メジャーが 後ろで絡んでいて 各国政府の方針は 石油メジャーの

計画と奇妙に紛争地帯の政変が 重なり合う事が解ります。

拙ブログで数年前に書きましたが 「アラブの春」とやらは 演出され作られた物で

春じゃなく 全て混乱の 冬の時代を向かえています。

シリアの反政府組織も 纏まった物ではなく 幾つもの組織がバラバラに運動し

元々 イギリスで歯科医の勉強をしていた バッシャール・アル=アサドは

ロンドン在住のスンニ派の女性と結婚していて 

本人は歯科医を希望していました。

c0192063_13493563.jpg


父親のハーフイズ・アル=アサドが死亡し 跡を継ぐはずの兄が交通事故で死に

c0192063_13553559.jpg


急遽 ロンドンから呼び戻されました、父親の取り巻きが大統領に成る為の

唯一の問題 年齢制限の法を変えて 現在のアサド大統領が誕生しました。

親族が利権の全てを抑えていましたが 少しづつ開放していましたが、

田舎町で少年たちが 反政府の落書きをして 捕まり そこから全てが始りました。

アメリカが仕掛ける 何時もの手です。

自由シリア軍、シリア国民連合、その他無数の反政府組織が生まれ

それら 全てにアイマン・アサファリが資金を提供していました、 

勿論 個人の資金提供だけでなく 表面に名前が出る事を嫌う様々な大企業

そして利権に絡みたい

イギリス、フランス、ドイツ、トルコ、アメリカ、カタール、サウジアラビアも

資金と武器援助し、まるで 死肉に群がる ハイエナ状態でした。

反政府軍が資金、武器、訓練の援助を受けましたが 

訓練が終ると反政府軍には 入らず、アルカイーダ系のアル=ヌスラ

ISISと 部族や宗教(イスラムの様々な宗派)により 帰属する派を決め

各国の思惑どうりにはならなかったのです、むしろ 新しい武器や資金が

ISISに流れ より 強いISISになってしまいました。

反政府軍がキリスト教会を攻撃したことで 攻撃されたのは東方正教会でしたので

ロシアは中東戦争以来支援してきた シリア、イランの応援を広言し始めます。

ISISは残虐さと イスラム法(シャリア)を採用し 多くのイスラム教徒の支持を得

トルコ国境から 密造石油を破格の値段で輸出し、古い遺跡を暴きユーロに

埋蔵物を売りさばき資金源としています、

トルコ 国内のクルド人対策もあり国境を越えて売られる石油や埋蔵物の輸出も

見てみない振りです、

メッカの名門に生まれた ムハマッドは 預言者としてアッラー(神)の言葉を伝え

それが「コーラン」ですが、ムハマッドの言行を伝えるものが「スンナ」です。

スンナを編纂した書物が「ハーデイス」で 

ハーデイスを法学者の解釈で「宗派」が生まれ 争っている訳です。

つまり 法学者の解釈や理解の仕方が 違いと利権を生み出し始めたのです、

一般庶民は部族の長が 右と言えば 右を向き、ドイツに移民すると言えば

皆 ドイツに向かうわけです。

部族が崩壊し始めています。

内戦の状況を少し整理しますと

c0192063_14302135.png


 シリア政府(アサド政権)の制御下(桃色)

クルド人勢力の制御下(黄色)

ISILの制御下(濃いグレー)

アル=ヌスラ戦線の制御下(緑)

紛争地帯(各勢力における戦闘の最前線)


アメリカは イラクのバクダットに 昨日書いたロシア、シリア、イラク、イランの 

そしてクルド人民軍まで参加した

情報連絡機関を置くことは寝耳に水だったようで シリアが参入している手前

アメリカは宗派、部族の細かい情報から つまはじきになりました。

既に ロシアは空爆を行ったようで、

これから 偵察衛星の情報を共有して戦う事は非常にシリア軍側が有利になり

イギリス、フランスも加わり アメリカとしては 最悪のようです。


NATOと 米軍が引き揚げた アフガニスタンでは北部の重要な都市が

タリバーンに奪還されてしまいました ドイツ軍が守っていた所なんですが。

c0192063_14371651.jpg

    (タリバーンに開放された 囚人達)
c0192063_14374323.jpg

    (攻撃を受け 燃え上がる 警察施設)
c0192063_1438326.jpg


空港は 直ぐ南にあり 陥落は時間の問題のようです。

アメリカの上院議員 ジョン・マケインが アフガンで北部の麻薬王と密会したと

昨日ロシアの情報公開を求める 編集者の手記を載せましたが

どんな 約束したのでしょうか?諦めたのかな。

・・・・・・幾らで手を引く約束をしたのかな?



以下に 又日系記者の記事です。

日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=
連載(7)=キリシタン浪人との説も=下克上の世を疎み出国か

 一五八七年、豊臣秀吉は九州征伐の途上、
宣教師やキリシタン大名によってたくさんの神社仏閣が焼かれて
仏教徒が迫害を受けており、
日本人が奴隷となって海外に売られているとの報告を聞いて激怒した。
 
そこで秀吉は同年六月にキリスト教宣教師追放令を発布し、
その一条にポルトガル商人による
日本人奴隷の売買を厳しく禁じた条項を入れたが、
奴隷貿易を阻止することはできなかった。
というのもその時点では、厳格に守らせようとしたわけではなかった。
 
南蛮貿易の利益は棄てがたいものであったし、
へたに民衆に棄教を強要すると平定したばかりの九州で混乱が生じ、
反乱につながる恐れがあると判断されたからだ。
 
秀吉とキリスト教徒の関係を決定づけたのは、
一五九六年のサンフェリペ号事件だ。
スペイン人航海士が
「キリスト教布教はスペインにとって領土拡張の手段である」と発言、
日本人奴隷売買と同国人宣教師の関係が疑われ、
秀吉は京都で活動していたフランシスコ会宣教師らを捕まえ、
司祭・信徒合わせて二十六人を長崎で処刑した。
 
この背景には、一五八〇年にポルトガルがスペインに併合され、
同じ国王を抱くようになった事情がある。
ポルトガル独自の行政、宗教、司法などの制度は続けられたが、
以後六十年間、外交的には一国として扱われた。

つまり、日本側にすれば、
合併によりスペイン人の国内での活動も認めざるを得なくなった。
 
以前からの日本事情をよく知るイエズス会は、
秀吉の禁令後、ひっそり布教するようになった。だが、
スペインが支援するフランシスコ会は状況認識が甘く、
なかば公然と布教をしていたため目をつけられた。
 
キリスト教が広まった背景には、当時の社会格差、
百年以上の戦乱による人心の荒廃があり、
既成仏教にはない新しいものに救いを求める心理が働いたようだ。

ガラス、鉄砲、ワイン、メガネ、印刷術など
目新しい最新技術と共にもたらされたその考え方は、
当時の民衆にとって、体制護持派となっていた仏教が失った魅力があった。
 
秀吉が宣教師追放令を出したのは、
アルゼンチンで日本人が奴隷として売られた翌年だ。
そんな時代背景が、彼をして日本を出させる理由になったのかもしれない。
名前のフランシスコ・ハポンにしても、
イエズス会のザビエルにちなんでいたのかもしれない。
 
いずれにせよ、なにかの理想を西洋社会に夢見て、
単身南米まで渡ったクリスチャンだった可能性がある。
自由渡航者として渡ったのに、
途中でポルトガル人商人に騙され奴隷として売られたが、
裁判で自由を勝ち取ったと推測できる。
 
前出の『コルドバ』には、次の分析もある。
 
「キリスト教の取締りが厳しくなると、信者の中には自発的に、
あるいは強制的に朱印船に便乗して海外に渡る者が多くいた。
また一方、戦国争覇で各地に戦乱が繰り返され、大名の栄枯盛衰も激しく、
敗亡の大名の家来の中には国内で身の振りどころがなく、
海外に飛び出す者も出て、

この浪人問題は当時の日本の重大な社会問題となり、
多くの浪人が海外に移住を求めるようになった。

つまりキリスト教に対する弾圧と戦乱の浪人が
日本移民の始めといわれる」(十五頁)と日本人町の形成や、
亜国の件の背景を説明する。
 
「当時日本の置かれていた社会情勢から推してこの青年の出国を考えた場合、
熱烈なカトリック信者であったか、もしくは戦乱の浪人『侍』であったともいえる。

いずれにせよ同民族間で限りない闘争で明け暮れる日本に見切りをつけ、
たまたまポルトガル人に嘆願し、
新天地を求める好奇心と活路を求める意で大きな野望を抱き、
ポルトガル船に乗り込み、
大陸アルゼンチンに来た『最初の南米日本人移民』だった、
と史実に基づいて断定してよかろう」(十五頁)
 

下克上に明け暮れ、百年以上の長い戦乱の続いた戦国時代を嫌い、
日本を飛び出したキリシタン浪人だった可能性を指摘している。
 
新天地に大志をもって乗り込んだサムライであれば、
まさに移民の先達に相応しい。(つづく、深沢正雪記者)

写真=天草四郎の陣中旗には、
ポ語で「いとも尊き聖体の秘蹟ほめ尊まれ給え」と書かれていた

あくまで 深沢記者の記事です。
          (お昼寝です)
c0192063_15113886.jpg

[PR]
by monk-1 | 2015-09-29 15:13 | Comments(0)


<< 私事 その9 私事その7 >>