静かな 年末ですね

いよいよ 年末ですね。

昨日(28日)が御用納めのせいでしょう、車の通行量も少なく

静かで穏やかな町並みです、日差しも柔らかくウトウトして来ます。

昨日の日韓合意を受けてネットでは 喧々囂々ですが 私は失敗したと思います。

日本の外務省というのは どうしようもないですね。

今日はそんなことより 個人的なお勉強の進捗状況を少し書いて

来る来年の方向性を確認しておきたいと考え記します。

テンプル騎士団がパリ本部と同時にフランス南西部の山城 モンセギュールで

フランス国王と 国王により教皇に選ばれたクレメンス5世により

異端宣言された為に迫害を正当化されて 厳しい弾圧を受けました、

カタリ派(グノーシス主義ボゴミール派)の多くの住民と共に

テンプル騎士団も弾圧され殺された事は以前記しました。

その狙いは テンプル騎士団が持つ巨額な資産、財宝でしたが

パリ本部にも モンセギュールにも財宝は見つかりませんでした、

この お話が後でお話しする機会もあるかもしれませんが

トレジャー・ハンテイング(財宝探し)として 

現在でもアメリカの多くの人の興味を引き続けています、

ノバスコシア州 オーク・アイランドでは財宝探しが続いているそうです。


一部のテンプル騎士団の騎士達はスペイン国境に近いロッシエルの港から 

スコットランドに逃げて バイキングの祖先を持つシンクレア家の保護を受け 

その後 有名な建築でも在る ロスリン教会を造りました。

現在でもその壮麗な建築とテンプル騎士団の足跡を残す教会は

観光名所ともなっていて、その複雑で華麗なな紋様は美術史的な価値と共に

テンプル騎士団の謎を解く多くの鍵が含まれるといわれています。

グノーシス主義とは 原始キリスト教の研究の中で

ユダヤ教の中の比較的利権や権力と遠いと言われたエッセネ派の人と思われる

パブテスマのヨハネ つまりイエスに洗礼を与えた洗礼者ヨハネが創設し

その後継者 シモン・マゴスが発展させたと考えられます。

エッセネ派以外にも 福音的(ユダヤ経典に忠実な)な ファリサイ派(パリサイ人)や

サドカイ派(祭儀を主に取り仕切る)や 

セロテ派(熱心党)と言われる派閥がありましたが

洗礼者ヨハネのように エッセネ派は 荒野で祈と労働を主要に考えていました。

洗礼の儀式は ヨハネがアレキサンドリアで勉強後取り入れた

多神教の参入儀礼がヒントになっていると思われ

段階的に修行を積む事で ある種の薬草や薬物等を使用し トランス状態に陥り

光に包まれると言う 儀式の中では最高位の経験をした人が

司祭としての道を進むことが出来ると言うものだったらしいです。

薬草や薬物の使用など 

又厳しい修行の為 ある種のトランス状態に入ると考えられます

洗礼者ヨハネは 近親婚を批判したためにヘロデ王に捕らえられて

斬首されますが 生前「私の後に来る人はもっと素晴らしい」と言ったとされ

それはイエスの事と イエス亡き後の取り巻きの中の知恵者が言いますが

実際のパブテスマのヨハネの後継者は 

ヨハネ自身がシモン・マゴスと指名しています

つまり「私の後に来る人・・・・」は シモン・マゴスの事なのです。

当時のユダヤ人社会では 「預言者 ヨハネ」として 

多くの人の支持を受けていた事を 覆い隠す為 パブテスマのヨハネと聖書に

記述せざるを得なかったようです。

シモン・マゴスは ヨハネが斬首された為に 全ての教えを聞いていなくて

ヨハネと同じく アレキサンドリアに遊学します。

当時のアレキサンドリアには ヨハネ教団の本部があったと言う説もあります。


現代西洋思想史では シモン・マゴスはグノーシス主義の創始者とされています。

ここで 問題なのは当時のアレキサンドリアと言う都市が どんな都市だったのか?

マケドニアは現在シリア難民問題で 時々国名が出てくるバルカン半島の国ですが

あの有名な アレキサンダー大王が帝国を築いた国と考えると 楽しいですね
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現在のトルコから ギリシア、メソポタミアを含め 東はインド西部まで領土としていて

現在のシナイ半島からエジプトまで北アフリカに及び

古代ローマ帝国が盛んになりマケドニア帝国が没した後 

セレウコス朝がローマ帝国に滅ぼされるまで続きました。

大王の家庭教師は 名門家庭にふさわしく 古代ギリシアの哲学者アリストテレスで

アリストテレスの講義を受けるアレクサンドロス
アレクサンドロス3世はピリッポス2世とエペイロス王女オリュンピアスの間に生まれた。
ピリッポス2世はヘーラクレースを祖とする家系で、
オリュンピアスはアキレウスを祖とする家系であったから、
ギリシア世界で最大の栄光を持つ両英雄の血筋を引くと考えられ、
家系的栄誉はギリシア随一であった。
紀元前342年、
ピリッポスはアテナイからマケドニア人の学者アリストテレスを「家庭教師」として招く。
アリストテレスは都ペラから離れた「ミエザの学園」で、
紀元前340年までアレクサンドロスとその学友を教えた。
アレクサンドロスは「ピリッポス2世から生を受けたが、
高貴に生きることはアリストテレスから学んだ」という言葉を残すほどに、
アリストテレスを最高の師として尊敬するようになる。
また、彼と共にギリシアの基礎的な教養を身につけた「学友」たちは、
後に大王を支える将軍となった。

東征中、アレクサンドロスの要請で
アリストテレスは『王道論』と『植民論』を書き送ったといわれる。
アレクサンドロスも、各国から動物や植物を送り、
アリストテレスはそれらを観察し、研究を続けた。
アリストテレスとの交流はこうして、アレクサンドロスの死まで続いた。

以上 ウイキペデイアより

当時の古代都市アレキサンドリアは世界中で一番発展した都市で

70万冊の蔵書を誇る図書館には古代ギリシアの哲学書を始として

東征で知りえたインドのバラモン教やヒンドウー教の経典等もあり

思想、美術、建築ありとあらゆる学問の専門書が在ったと言われていて

人種も様々な人たちが街を創っていて 勿論ユダヤ人街もありました

以前 海のエジプト展の所で少し触れましたが

欧州海洋考古学研究所の所長で フランス人のフランク・ゴデイオ氏が

海中から引き揚げた 古代都市アレキサンドリアの数々の貴重な財宝の

お話しをしましたが、 後にはエジプト女王クレオパトラも住んでいた町です。

引き揚げられた数々の考古学的価値の高い品々の幾つかを紹介しましたが

後にエジプト神話の中の イシスの女神像や イシスの母子像は

後のキリスト教の聖母子像の原型と言える物で

多数派教会が真似て言葉が悪いですが マリア像や聖母子像はパクリと解ります

又 素焼きの皿に香油をたらし その流れ方で占いをすると言う事も

そして それらの皿には 古代ギリシア語で クリストス(預言者、占い師、魔術師)と

書かれていて、本来キリストとは古代ギリシア語で クリストスと言う予言や占いをする

人たち 全員の呼び名と言う事も書きました。

洗礼者ヨハネの旅を追う シモン・マゴスもアレキサンドリアで

様々な最新の思想や考え方を学んだようです。

特に気にしている事は 古代ギリシア哲学で 後のローマ時代の哲学者で詩人のセネカ

そして セネカが始めて知った言葉 「我々は何処から来て 何処に行くのだろう?」

この言葉が グノーシス主義ボゴミール派の教師が伝えた事など

アリストテレスが考えていた事でもあります。

ヨハネの祈とは 哲学的な疑問に向き合う事のようで 

従来の宗教と少し離れていたようです、

最後の審判と言う リセットを詠いながら 地上にではなく天国で貯金をしなさいと

喜捨を求め 信者からイエスがお金を集めるような行為とは別の

思想的な次元を 求道者のように 思索するヨハネの教えは別物のようです


預言者ヨハネとして人望を集めていたので 時の王 ヘロデ大王には邪魔な存在で

斬首は好都合のようでした

グノーシス主義は東欧にも広く伝わっていて テンプル騎士団が有名になって以降

様々な騎士団が作られ 東欧や 東ローマ帝国、北欧にも作られています

そして 表面的には異端視されぬように 修道院が数多く作られて

祈と労働と言う哲学的な思考をする騎士団と修道院が

ローマの多数派教会(イエス・キリスト教)の目を誤魔化すように沢山出来ています

むしろ グノーシス主義へのの弾圧が始るまでは 

勢力としてはイエス・キリスト教を凌いでいて 多くの人達がヨハネの教えを実践し

祈と労働の深い意味を知っていたようです。

スコットランドへ亡命したテンプル騎士団は当初 キルイニング修道院に匿われ

そのキルイニング修道院の系列になる フランスのテイロン修道会を知ります

この テイロン修道会は建築技術に優れていて

その理由は 何度も登場させた石工のギルド フリーメーソンの会員がいたのです

以降 フリーメーソンとテンプル騎士団はその秘密性や普通の人には解らない

独特の握手や儀式などで 秘密組織として潜行して行きます。

11世紀頃のフランス西部に現存する古い教会の石を使った建築技術は

要石を用いた アーチ型が美しいに美術史的にも価値の高い建築物だそうです。

その後 スコットランドのシンクレア家に招かれ有名なロスリン教会を造りますが

一見の価値があるテンプル騎士団の教会です

バイキングを祖先に持つシンクレア家のヘンリー・シンクレアが 祖先の辿った

北欧からグリーンランド、そして南下して現在のカナダ領や、

アメリカ東海岸ノバスコシア州に来たのは ポーランドポルトガルのキリスト教騎士団の会員を

叔父に持つコロンブスが新大陸発見のおよそ 300年前になります。

ノバスコシア州の先住民族 ミクマク族の旗が 何故かシンクレア家の旗と

紋様が 正反対の対になっています。

北方の狩猟民族は 交易の品である海獣の毛皮をとる為に

現在の国境など意識せず狩猟の旅をしていた事実は 

現在はお話しの端にもでてきませんが 北海道の東部の町には

私が小さな頃 オロチョン族、ギリヤーク族といった 

北方の狩猟少数民族が居た事で 納得できます 現在ではアイヌ民族だけが

ある 特定の思想的な思いを持つ人たちに利用されていますが

多くの少数の狩猟民族が 近年迄 北海道に存在していたのです。


全ては書ききれませんが 北欧のデンマークの騎士団が使用していた

ルーン文字そして暗号表のターンテーブルも

北欧の騎士団や修道院で 他者に解らない様に使用されていたものです。

独立戦争以前にフリーメーソンが アメリカを作ったというのは真実のようです、

エルサレムに向かう巡礼者向けの金融保証の性格を持つ 割符

寄進された多額の資産を現代の銀行業務に近い形で 

王侯や貴族に貸していた事実を考えますと 現在の国際金融資本の原型も

僅かですが 見えてくるような気もします。


ナチスの親衛隊長 ヒムラーが ドイツの騎士団の調査をしていた事は有名な事実で

親衛隊の徽章に ルーン文字が使われていて軍帽の徽章も「スカル&ボーン」

頭骨と大腿骨で 薔薇十字団の研究も国家ぐるみで行っていたようです。 

ヨハネが斬首された後 何故か頭骸骨信仰(バルカン半島、地中海沿岸)が浸透し

親衛隊長 ハインリッヒ・ヒムラーは戦争当時 フランス西部にある

カタリ派の多い町 アレ・レ・バン村を調査しています、

アメリカ東部 アイビーリーグに現存する 秘密クラブ スカル&ボーンは

アメリカでの出世を約束された 大学生だけが入部する事が出来るそうです。

海賊の旗として 有名ですが スカル&ボーンは預言者パブテスマのヨハネを信仰する

グノーシス主義者との関係を私は疑っています・・・・・予断でした。


テンプル騎士団が聖地エルサレムへの巡礼者の保護の為と言う理由で

過ってのソロモン神殿の跡地に住んだことから テンプル騎士団と呼ばれるようになり

巡礼者に割符を与え 金銭を持たなくても巡礼出来る、

現代で言う 小切手や手形の原型を造りましたが

フランスに帰国してからも寄進を多く受け 受け取った土地や財産は天文学的で

その資金で 今で言う銀行業務のような 資金の貸付なども行っていました

借りた膨大な資金の返済に困った フランス王フイリップが

教皇を暗殺し 自分の言う事を聞く教皇を就任させ 異端と判定し虐殺します。

どうやら 金融帝国主義者の原型が少し見えてきたようですが。

グノーシス主義者が異端とされ キリスト教の目を離れ 新大陸へ・・・・


シモン・マゴスがアレキサンドリアで見聞きした事は ヨハネの教え以外にも

ヘレニズム文明や錬金術(後に様々な科学の元になっていきます)

予断ですが 偽金に悩んでいたイギリス造幣局が 局長として選び

偽金追放の為努力した アイザック・ニュートンは錬金術師としても有名で

名前のアイザックは 旧約聖書の予言者 イサクから付けられています

又 死後子息が語ったところによると メッキした銀貨や金貨を見つけて

製作者の錬金術氏を捕まえると 犯人が持っていた蔵書を全て時分の物としてしまい

様々な研究をしていたそうです、一般には万有引力が有名ですが

死後 彼の蔵書の中で一番多かったのは哲学書で古代ギリシアのスコラ哲学書で

物理学書は僅かで 半分以下だったそうです。

少し長くなりましたね 年末に来年の抱負をと言う訳ではないのですが

少しづつですが 独り言をつぶやけるように 前に進んでいるのか?自己確認でした

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      アラ~天地が逆さまだ~~歴史と同じだね 迂闊に信じちゃいけないよ。
       誤字脱字は後ほど推敲しますので 悪しからず
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by monk-1 | 2016-01-01 14:37 | Comments(0)


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