歴史の事実

部屋の中で 陽差しだけ見ていると、小春日和と言う感じなのですが、
ドアを開けると 冷たい風が吹いてきます。

後10日で 今年も終わりですね。
イギリスのメイ首相は 此処に来て副首相の 
ダミヤン・グリーン氏を罷免しました。

女性記者から ハラスメントを訴えられていましたが 此処に来て、
事務所のPCにポルノをダウンロードしていたことが  
警察関係者から明かされたと新聞で報道され
本人が辞任の意思を伝えました。
メイ首相とは大学の同期で 長い間の盟友でした。

EUからの離脱問題で メイ首相の頑張りが目立っていただけに
此処に来て閣僚の辞任は 予想外の事でした。
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ハラスメントを訴えていた ケイト・コルトビーさん 31歳です。
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Damian Green sacked after 'misleading statements' on porn

claims
Damian Green, one of Theresa May's closest allies, has been

sacked from the cabinet after an inquiry found he had

breached the ministerial code.

He was "asked to quit" after he was found to have made

"inaccurate and misleading" statements about what he knew

about claims pornography was found on his office computer in

2008.
http://www.bbc.com/news/uk-politics-42434802


英国のダミアン・グリーン筆頭国務相は、
前に下院の事務所で使用していたパソコンから
ポルノ映像が発見したことが新聞で報道されたことを受け、
メイ首相に辞表を提出した。
共同通信などが伝えた。


AFP通信によると、グリーン氏はメイ首相の最側近の1人だし、
メイ氏と大学時代から交流を持つ「数少ない盟友」として認められている。

© REUTERS/ Jon Nazca

EU首脳、Brexit交渉の第2段階移行で合意
メイ首相は辞表の決定について
「深い遺憾の意と、多年にわたる貴殿の貢献に対する不朽の感謝をこめて、
 私は貴殿に政府からの辞任を求め、貴殿の辞職を受け入れるものです」
と伝えた。

グリーン氏は、
自身のコンピューターからポルノ画像が見つかった事実を知らないと伝えた。
https://jp.sputniknews.com/politics/201712214403897/

何度も書きますが 宗教と言う名前の思想の原点と成った
古代ギリシアの思想家 ソクラテスやプラトンが言う所の
ロゴスとパトス 不完全な欲望(パトス)に振り回される
人間の弱さが出ましたね。

惚け老人のモンクにも 思い出したくない 恥ずかしい覚えがあります。
セクハラでは無いですよ!

トランプ大統領が言った エルサレムの問題は益々大きくなってきました。
イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、
其々の宗教?の聖地なんだそうです。
聖墳墓教会、嘆きの壁、そして 岩のドームと。

惚け老人のモンクは 皆カルト宗教の詐欺団体と思っていますので、

旧約聖書が誕生する はるか5000年前位に
エジプト王朝の神官達は 夜な夜な空を見続け、
砂漠の地平線に見え始めた シリウスの星を基準にして
細密な記録を書き残し、一年を知りました。
シリウスが昇り始める位置情報がきっかけでした。
(当初の天空の図では 一年を10等分していたようです)
一年、一日、と時間の観念が出来ました。
次に、毎年溢れる ナイル川の氾濫する時期を知り
上流から運ばれてくる肥沃な土のお陰で 農業が盛んになりました。

氾濫する川の水位を測る 石作りの建物を立てて水位を測り
水位に拠って その年の税率を決め始めました。

農業生産高に応じて架ける 税の観念も出来ました。

昼間 天空を移動する太陽が 舟で移動していると考え
王の墳墓には 昼と夜の船 二艘を遺体と供に埋葬しました。

昼の星は見えないのですが、 
何故か 金子みすずの詩ではないですが、
「見えないけれど あるんだよ」を 
古代のエジプトの神官は知っていました。

ギリシアの思想家が考えた 宇宙は 
エジプトの神官達の考え方の延長戦上になり 
星辰界のはるか上に 絶対神の世界があると信じていたようです。

王が亡くなり 新たな王が誕生する為には
新王が即位する為の 秘儀、密儀と呼ばれる儀式が有りました。
一部の神官と祭司を取り仕切る 門外不出の密儀で
女性が祭事を司るのは
イシス信仰とイシスの秘儀があり イシスは女性の神様でした。

エジプト中王朝を滅ぼした ヒクソス人達はその儀式を知りませんでした。
イシスの秘儀を手に入れようとし、漸く手に入れた秘儀の儀式は
ヒクソス人に解らない言葉で 形だけを真似て儀式を行い
エジプト王になっていました。

ユダヤ人が旧約聖書を偽造して 
ユダヤ人の祖先アブラハムを神話の中で 捏造しましたが、
ヒクソス人こそ 流浪の民でユダヤ人の祖先では?と

ソロモンの神殿に収められていた エジプト王朝の秘儀は
ヒクソス人(砂漠を放浪していたユダヤ人の先祖)が
エジプト王朝の新王の即位に必要な密儀を真似た物と
惚け老人のモンクは考えています。

自らもフリーメーソンの18階級と広言し
作家のクリストファー・ナイトは その著書「封印のイエス」の中で
フリーメーソンの階級が上る時に 
上位のメーソンリーの後について 復唱し述べる言葉は 
呪文のような言葉で
古代エジプトのイシスの秘儀で使う コプト語 古代エジプト語だと
述べています。

勿論意味は解らないそうです。
古いソロモン神殿の遺跡からその秘儀の文物を発見し 持ち帰ったのは、
テンプル騎士団では?と モンクは考えています。

その後ユダヤ教の中から 考え方を別にする派が出来
キリスト教(古代ギリシア語でクリストス、預言者 占い師 魔術師)
神の言葉を予言すると言う キリストが大勢出て来ます。

ローマ帝国の時代 
ローマ市内には大勢の 我こそはキリストと名乗るユダヤ人がいたと
アレキサンドリア市内にも 
多くのキリストと名乗る預言者?がいたそうです。

いずれも 現在の中東の混乱を見るように
ユダヤ人のキリスト達は 好からぬ連中とされていて、
終には 多神教の神殿を破壊し 放火します。
ローマの大火もアレキサンドリアの大火も キリスト達が放火したもので

当時のローマ皇帝ネロは 多くの自称キリストを捕縛して磔の刑にしました。
ゆえに キリスト教徒達からは 「暴君ネロ」と呼ばれます。

旧約聖書の矛盾を正そうと 新約聖書を作りますが、
パトスを理解できない 連中は
聖書の中で 史上初めての 尊属殺人 
兄弟のアペルをカインは殺します。
又 史上初の近親相姦を聖書に載せます、
母親のイブ(エバ)と イブの子カインは性交するのです。

いい加減な宗教なんです。
テンプル騎士団が滅ぼされた後は
教会の権威と 王族の権力が結びつき 暗黒と呼ばれる中世迄続きます。
テトラルキアで 東西分割統治を行っていたローマ帝国は
西ローマ帝国が滅びた後も 東ローマ帝国として存続します。
マルテイン・ルターによる プロテスタント運動で
腐敗していた多数派教会や貴族による私的な宗教利用が批判され
突如 薔薇十字団と言う騎士団もどきのグループが現れました。
秘密めいた騎士団とその活動は 又述べます。
地下運動が表面に出て来ました。
フリーメーソン。イルミナテイの登場です。

そのいい加減な 宗教の事ですが 宮崎メルマガより引用します。
拙ブログでも少し触れましたが 詳細な検証が行われています。
矢張り 利用されました

続 ファクトとフェイク(報道しないマスコミ)
http://monksin.exblog.jp/19890108/

【短期連載】(2) 「正定事件」の検証 
         ─カトリック宣教師殺害の真実─

このたび、正定事件に関する言論の場を与えて下さいましたこと、
この場を借りて御礼申し上げます。
事件の真実を究明し、
日本人の名誉を守るという目的を達成するため
これからも励んで参りますので、ご支援ご協力宜しくお願い申し上げます。
                        (峯崎恭輔)

▼正定事件は「未解決事件」である

まず、
正定事件は当時誰にも解決できなかったという事実を押さえておく必要がある。
そして、日本軍の犯行を主張するシュラーフェン財団などは、
何一つとして確実な証拠を提示していないことを知ってもらいたい。
正定事件は現代に至るまで「未解決事件」なのである。

第一に、
拉致実行犯が日本軍将兵であることは当時も現在も証明されてはいない。
第二に、
200人もの慰安婦を宣教会から日本軍が連れ出そうとした
1次史料はまったくない。
第三に、
司教らが宣教会内にいた婦女子の身代わりになった事実はない。
第四に、
9人の死亡状況と死亡場所が完全に明らかになってはいないのである。


今回の研究書の執筆にあたっては、
財団が当然分析済みであるはずのフランス外交文書並びに
現地の主要な修道院報告、財団が作成した事件概要で示した
いくつかの手紙の断片について分析・検証をしている。
また日本陸軍の記録も正定に関するものは徹底的に調べたつもりである。
しかしながらどうしても財団側のストーリーを
結論とすることはできなかった。
むしろ当時の文献や証言などを調べるにつれ、
共産主義者の存在が重要性を帯びてきたのである。

当時、
「共産主義者犯行説」は日本側で事件処理にあたった
横山彦眞(ひこざね)
陸軍歩兵少佐(陸士32期、最終階級:中佐)の見解として、
彼が所属した北支那方面軍司令部で作成された「
「北支那方面軍状況報告綴」において
『支那共産匪ノ為殺害サル』と結論づけられている。

▼バチカン教皇庁の結論が出る前に……

フランス外交文書では、
プロテスタントの牧師が横山少佐の発言として共産主義者を取り上げている。
しかし、そこではわざわざ「日本軍に所属する」共産主義者としている。
これはおそらく恣意的な付け足しであると考えられる。
もちろん日本軍将兵の中に
一人も共産主義を信奉する者はいなかったと言うつもりはない。
しかし、当日の軍の動きを見れば、
2日にわたって宣教会
(東京ドーム2個分ほどの広い敷地内に修道院関係の建造物が数多くあり、
 さらに戦禍を避けて千人以上の避難民が殺到していた)内で略奪を行ない、
宣教師たちを拉致し、
その痕跡を消し去る余裕のある部隊のなかったことは容易に分かることである。

しかしながらシュラーフェン財団を中心とする研究者は、
占領したのが南京を攻略した第6師団と知るや
まったく詳細な部隊行動の検証を行なわず、
一方的な思い込みでいわゆる南京大虐殺の先触れとなる事件として
位置づけてしまったのである。
さらにバチカンの秘密文書の中にあったという
横山少佐の手紙が
被害者の殉教を認めるものであったことを証拠のように扱っている。
これは少佐がカトリックの信徒であったという誤解から来る
過剰な思い込みによるものである
(おかげで日本でもウィキペデイアはじめ、
 あらゆる記事において横山少佐はカトリック信徒になっている)。

トラピスト修道院の文書で
彼がミッションスクールの出であると報告した箇所もあるが、
それは中尉時代の1926(大正15)年、
東京で外国語研修をしていることを指していると思われ、
ご遺族の証言により
横山少佐がカトリックでないことが確かめられた以上、
根拠の前提の一つが崩れたことになる。
いや、そもそも彼が信徒であったとしても、殉教を認めたからといって、
「婦女子の身代わりに」殉教したとは書いていないのであるから、
根拠にはなり得ないのである。

最初に日本で事件を報じた「カトリック新聞」(2012年11年4月付け)は、
財団が提供した情報を裏とりもせず鵜呑みにした。
元大阪大司教も情報をそのまま信じ、代理を派遣して現地で謝罪させた。
これはいつか来た道、いつか見た光景ではなかろうか。
 
非を認めるということは当然ながら責任を負うということである。
自らを「正しい日本人」と思い込んでいる人は、
他国が歴史問題において日本を裁く時、
自らがその被告席についていることを理解していない。
そうであるから平気で勝手に覚えのない罪を背負い込んでしまう。
大勢の現代日本人をその巻き添えにしてしまう。

歴史戦において我が国は、
この自称「正しい日本人」を橋頭堡にして何度も守りを破られてきた。
しかしこの「正定事件」はその攻撃の中で最も柔らかい脇腹である。
であるからこそ、
いま反撃の狼煙をあげ、戦力を集中し攻撃を粉砕するべき時が来たのである。
もし、ひと足先に「列福(れっぷく)運動」が成功すれば
一転してそこは難攻不落の要塞と化し、
半永久的に日本の名誉、
先人の働きを傷つける楔(くさび)となり続けるであろう。         
(次回に続く)

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【短期連載】(3) 「正定事件」の検証─カトリック宣教師殺害の真実
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   ♪
【短期連載】「正定事件」の検証─カトリック宣教師殺害の真実(3)

これまでの話: 
今から80年前、
中国の正定という町で起きたヨーロッパ人宣教師の拉致殺害事件、
いわゆる「正定事件」があった。
事件は日本軍が町を占領したその夜に起きた。
そして当時、犯人も動機も不明なまま未解決となったのだが、
現在、200人の婦女子を日本軍の魔手から守ろうと
宣教師たちが身代わりとなって処刑された英雄譚となって
ヨーロッパや中国で流布されている。
そればかりでなく「福者」という、
カトリックの称号を得るための審査がバチカンで進行している。
 
創作された英雄譚に利用された、
日本軍将校の手紙による「身代わり」殉教の根拠付けは
いい加減なものであった。
彼は支那共産匪の犯行であると結論付けした事件の処理担当者なのだから。
当時の記録や報告、正定を占領した部隊の動きをよく調べもせずに、
簡単に一方的な主張を受け入れ、
勝手に代表して謝罪してしまう日本人がいた。
これにより、
日本側も(当然調べた上で)現在の説に同意したものと見なされているのである。

 
今回は犯罪が起きた2日間について、
当日における日本軍の動きを含め簡単に述べる。
現在の通説では不明だった動機が先に来ているので、
不都合な事実は無視されている。
これは犯罪の分析でしてはならない過ちであると私は考える。
では、史料を元に事件を概観しよう。


▼事件当日の日本軍の動き

 事件の概要を述べる前に、
容疑をかけられている日本軍部隊の大まかな動きを知っていただこうと思う。
これを念頭に置いて事件を眺めてもらうと、
特殊な戦場の実態が浮かび上がってくる。

1937(昭和12)年10月8日に始まった正定城の攻防戦は、
翌日の城内掃蕩をもって終わり、
正定(せいてい)と石家荘(せっかそう)の間を流れる
?沱河(こだがわ)を挟んで日中両軍は対峙した。
事件が発生した9日夜は、
翌10日に予定されていた渡河作戦のために
第6師団は徹夜で準備に追われていた。

歩兵戦闘部隊のほとんどは正定の城壁外に、
各級司令部は主に南門や東門の城壁上に位置し、
大隊規模の砲兵部隊が数個、城内に入って攻撃の準備に取りかかった。
対岸の中国軍に対する攻撃は予定通り10日の昼過ぎから行なわれ、
この日のうちにすべての師団が中国軍第一戦区の
?沱河防衛線を突破して交通の要衝である石家荘を占領した。

▼拉致殺害事件の概要

正定(当時の人口は約2万人)のカトリック宣教会は
城内に広大な敷地を有し、
中には塀と門で仕切られた4つの修道院、病院、学校、工房などの施設があり、
家畜も飼っていた。
住人は約千人もおり、
正定という町の中にまた別の町が存在するかのような体であった。

2週間前に日本軍が攻略した保定や近隣の地域から
正定のカトリック・プロテスタント両宣教会に
約1千から2千人の避難民が殺到していたが、
正定城が8日夜に包囲され、
9日午前まで続いた市街戦・掃蕩戦の結果、
避難民に加えて中国軍の敗残兵が多く宣教会になだれ込んだ。
史料では壁を乗り越え、
隣家の屋根を伝ってくるなどの必死な様子が伝えられている。

すぐに略奪が始まった。
学校や工房、男子修道院から金目のものや食糧が奪われ、
破壊も行なわれた。
その際、
日本軍に通報しようとしたと思われる
工房の職工長が略奪者たちに射殺されている。
トラピスト会士で当時宣教会に避難していた老齢のアルベリック神父
(ヨーロッパ人唯一人の生存者)は、
昼頃略奪者の襲撃を受けた。
証言によれば満人、モンゴル人、または朝鮮人のような
風体の犯人であったといい、
北京のフランス大使館では最初の通報があった段階から
この情報を掴んでいた(ただし、日本軍に属する者たちと誤認してだが)。

この外国権益の領域に日本軍は何度か立ち入っている。
部隊指揮官、または参謀クラスの訪問・視察、
そして賊が壊した門戸の修復のためである。
病院では軍医の派遣と医療品の提供が約束された。
この日断続的に行なわれたという略奪と破壊の現場に
彼らが直接出くわすことはなかった。

日が落ちた午後6時頃、
南の通りに面する正門に10人ほどの武装した賊が現れた。
軍服を着て武装はバラバラ、
なかには民間人用の帽子をかぶった者までいるという
怪しい集団が門番修道士を脅して宣教会に侵入。
まずは中国人の尼僧院に立ち入った。
この後、彼らは避難所やほかの修道院でさまざまな略奪行為を働くのだが、
ここでは何もせず出て来るのである。
これは大変重要なことである。

1時間ほどして賊は食堂に現れた。
食事中のシュラーフェン司教ほか、ヨーロッパ人8人は、
中国人神父たちの目の前で拘束され連れ去られた。
1人の中国人神父が途中までこれに帯同した
 (不思議なことに彼は逃げ出すことができたという)。
司教は彼らに要求は何かと尋ねたが答えはなかった。
これも大変重要なことである。

その後、
賊は司教たちを連行する組と、金庫を捜索する組、
ヨーロッパ人修道女がいる尼僧院に向かう組に分かれ、
それぞれ中国人神父を案内役としている。
尼僧院では対応した修道女を賊が脅してしまったため、
その門戸は開かれることがなかった。
ここでも拉致はおろか略奪もなかったのである。
そしてこれは、司教たちが連れ去られたあとに、
司教たちから離れた場所で起きた。極めて重要な事実である。


賊はわざわざ中国人神父たちに目当てはヨーロッパ人であると告げている。
そして会話はすべて流暢な中国語(熱河訛)で話されたという。
司教たちが連れ去られた宣教会内の略奪は翌日も続いたが、
夜には前日の賊がまたやって来て中国人神父と接触している。
彼らはヨーロッパ人神父たちの部屋を略奪・破壊して去り、
二度と戻ってこなかった。

1か月後、
突然、隣の天寧寺から拉致された司教たちの所持品や衣服の一部、
骨や歯などが発見された。
それで宣教会も現地警察も日本軍も拉致被害者は全員死亡したものと見なした。


▼犯人は不明、動機も不明
女性目的の犯行という説を最初に打ち出したのは、
プロテスタント宣教会のヒル牧師であるが、
事件はカトリック宣教会で起こったことだから、
当然彼は現場にいなかったし、前述の通り、
犯人たちの行動にもヒル牧師の説の裏付けとなる要素は何もないのである。

ゆえにこのことは当時、
関係国およびカトリック宣教会ではまったく取り上げられなかった。
金銭目的のようでありながら、身代金要求もなく、
司教たちの所持品はほぼ手つかずのまま埋められていた。
日本軍の占領下に入ったばかりの正定で、
第三国人の殺人をする必要性があったのは誰だったのか? 
共産主義者犯行説はこの疑問に答えるかたちで登場するのである。
(次回に続く)

長く成るので 次回又 続きを載せます。
そして 2012年10月13日と14日には
オランダで殉教75周年を記念する式典があり、
日本からも深水正勝神父(東京教区)が参列した。
深水神父はミサ中
日本カトリック司教協議会会長の池長潤大司教の書簡を代読。
日本による事件への謝罪の意を示し、列福運動のために祈ることを伝えています。

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東京教区の深水神父は この事実を日本人兵士が犯した事と認めているのです。
再度 宜しければ お読みください。
矢張り 利用されました

続 ファクトとフェイク(報道しないマスコミ)
http://monksin.exblog.jp/19890108/


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by monk-1 | 2017-12-21 14:02 | Comments(0)


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