シャムロック

逆戻りしたような お天気ですね。

この雨で 折角の開花宣言が出された桜も?
散ってしまうのではと・・・・・。

考えて見ると 
毎年 桜の季節に冷たい雨が降っているような?
記憶が在りますが、気のせいでしょうか?。

昨日載せました、セント・パトリックデイの中の記載で
キャサリン妃が「シャムロックを事務所に送る・・・」と
書いてありました。

William and Kate brave snowy St Patrick's Day parade
The Duke of Cambridge has taken the salute
at the Irish Guards' St Patrick's Day parade.

His wife Catherine then presented the shamrock to officespan>


c0192063_12595995.jpg

シャムロックは数年前に 拙ブログに書きましたが、
再度 書いておきたいと考えています。

シャムロックは ”かたばみ”で 四葉のクローバーと混同しやすいのですが

c0192063_13045143.jpg

三枚の葉は セント・パトリックがキリスト教の布教の為に
奴隷の身分から解放されて、
再度 布教の為にアイルランドに来た時に
「父と子と精霊の御名に於いて」と 胸元で十字を切る為の
「三位一体説」の証としました。

葉が三枚在り 一枚一枚が 三位一体説の 主、精霊、神だと。

以来 アイルランドの国花は シャムロックなのです。
アイルランド国旗は下です。

c0192063_13120437.png


イギリスはご存知の通り 連合王国で、
イングランド、ウエールズ、スコットランド、北アイルランド、
からなります。

又は 「グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国」とも呼びます。
コインの処でも書きましたが、
コイン
https://monksin.exblog.jp/26542466/

デザインは一方の面にエリザベス女王の肖像が描かれ、
他方には
イングランド、スコットランド、ウェールズ、
北アイルランドを、それぞれ象徴する
バラ、アザミ、リーキ、シャムロックが王冠と共に描かれています。
古いコインと新しいコインです。

c0192063_13195049.jpg

c0192063_13195908.jpg

其々の カントリー(国家)と呼ばれるほど 自立心が旺盛な
かく地方を代表する植物が 公平に貨幣に描かれています。

以下に引用です

シャムロック(英: shamrock)は、マメ科のクローバー
(シロツメクサ、コメツブツメクサなど)、ウマゴヤシ、
カタバミ科のミヤマカタバミなど、葉が3枚に分かれている草の総称である。

アイルランド語でクローバーの意味のseamairまたは、
若い牧草を意味するseamrógを、
似た発音で読めるように英語で綴った語である。

アイルランドで432年ごろに聖パトリキウス(パトリック)は

「シャムロックの葉が3つに分かれているのは
「三位一体」を表しているのだ」と説明し、キリスト教の布教に利用した。

c0192063_14293776.jpg

アメリカや日本では、
しばしばシャムロックと四葉のクローバーが混同されることがありますが?

アイルランドの国花で、アイルランド政府により商標登録されている。
アイルランドを表すものに使われることが多い。
アイルランドでは何処でも見られるため、
「エメラルド・グリーンの島」と呼ばれるようになった。
アイルランドの聖人となった聖パトリキウス(パトリック)の命日の
3月17日は聖パトリックの日 と呼ばれ、シャムロックを胸に飾るか、
緑色のものを身に付けて祝います。
アイルランドのフラッグ・キャリアであるエアリンガスは、尾翼章

にシャムロックを図案化している。

ラグビーアイルランド代表
(アイルランド共和国および北アイルランドから選出)
のエンブレムにも使用されている。

王立アルスター警察隊(Royal Ulster Constabulary)の旗に使われていた。

引用終わり

ローマ人に追い詰められて
欧州からイングランドそしてアイルランドへと、
ケルト人が最後に住み着いた島なので、古い習慣が現在でも伝わり
多くの アメリカへ移住した アイルランド系アメリカ人には
特別の意味があります。

現在でも 道路標識に 「妖精が通ります、徐行注意」と
交通標識があります。

現在ではアイルランドに住むアイルランド人の数よりも
アメリカに住む アイルランド系移民の数の方が数倍多く成っています。

特にニューヨークには アイルランド系移民は絶対的に多いのです。
同じく アイルランド系移民の家系で始めて大統領に成った、
J・F・ケネデイが死んだ後も ケネデイ家が人気がある理由の一つです。

イギリスのBrexitで 昨日も
イギリスのBrexit担当大臣 デイビット・デイヴァイスと
EUの首席代表のミッシエル・バルニエが会談し
北アイルランドの国境問題には進展が無いと、

c0192063_13415515.jpg

No Brexit agreement on Irish border

By John CampbellBBC News NI Economics & Business Editor
The EU and UK have not reached agreement on the Irish border

despite "decisive" progress on other Brexit issues.

The EU's negotiator Michel Barnier said the two sides had

agreed on a transition period.

'Only a backstop'

"The border issue has not been resolved at this stage
and we didn't expect it to be," said a party statement.

Sinn Féin MEP Martina Anderson said the announcement meant
"the British government is accepting the agreements made,
including the backstop option,
which would see the north remaining in the customs union
and significant elements of the single market".

http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-43459338

通称 北アイルランドの国境問題は ”バックストップ”と呼ばれています。

c0192063_13442824.png

北アイルランドは近年 ベルファースト条約で
漸くイギリスとの争いを止めたばかりです。

北アイルランドはプロテスタント、アイルランドはカソリックと
宗教的な対立と
イギリスから 北アイルランドに数多く入植もしています。

以下にウイキペデイアより引用です。
1541年、イングランド王ヘンリー8世がアイルランド王を自称する。
これ以降、イングランドからの入植者が増える。
しかしアイルランドの貴族はこれを認めずヘンリー8世と対立。

清教徒革命(主教戦争、三王国戦争(スコットランド内戦(英語版)、
イングランド内戦、アイルランド同盟戦争(英語版)
(アイルランド革命(英語版)。1652年、
護国卿オリバー・クロムウェルによるアイルランド侵略、
事実上の植民地化。これ以後正式な移民が始まる))、
イングランド共和国の成立、イングランド王政復古)。
名誉革命(1688年 - 1689年)、ウィリアマイト戦争。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89

と イギリスの内政の複雑な事情に振り回されてきました。

入植も一部は 貴族が不在地主として多くの土地を所有していて、
その土地に小作人として アイルランド人を使っていました。

不在地主が土地の差配を任せた有名人が”ボイコット”の語源に成った
チャールズ・ボイコット大尉です。

c0192063_13444245.jpg

その苛斂誅求な土地差配で苦しんだ農民は多く、
後世 彼の名前はボイコットと言う言葉で残されました。

イングランドが混乱していたころ、
アイルランドでも1641年からカトリック勢力による武力蜂起が起こっていました。
彼ら反乱勢力は国王軍とどうにか和平を結んだのですが、
共和政イングランドによるクロムウェル遠征にあって鎮圧されてしまいました。
クロムウェルとその幕僚たちは敗残兵や民衆の虐殺を行い、
共和政政府は債務弁済のためにアイルランドの土地を
イングランドのプロテスタントに分与しました。

このことはアイルランドの人々の間に長く禍根を残し、
現在に続くアイルランド問題の源となります。

アイルランドにおける清教徒革命・内戦では、
しばしば三〜四の勢力で説明される事が多いのですが、
アイルランドの有産階級は、
ほぼこのいずれかに分類できます。

ミア・アイリッシュ カトリックであり、
アイルランドにおけるイングランド王の支配を認めない人々。
ゲール人などからなる。
隠遁生活を送るかカトリック国に亡命する者が多く、
地主として力を持つ者は皆無だった。
オールド・イングリッシュ カトリックで国教会には従わないが、
イングランド王への忠誠も併せ持つ。
それ以前に植民してきたイングランド人の子孫とゲール人の双方から成る。
信仰面から国教会やプロテスタンティズムを認めず、
官職にありつけなかったものの、地主としては最も大きい勢力であった。
ニュー・イングリッシュ プロテスタントのイングランド人たちの総称。
それまでアイルランド総督府・議会を支配していたのみならず、
地主として勢力を伸長しつつあった。
イングランド内戦では国王派と議会派および多数の日和見に分かれた。

武装蜂起は1641年10月23日に起こり
この蜂起の理由については、
アイルランドの地主たちの債務の帳消しを狙ったものであるとする説、
ニュー・イングリッシュに奪われた土地を取り戻そうと立ち上がったとする説
などがある。
当初アルスターで起こったこの武装蜂起の首謀者は
ゲール系オールド・イングリッシュであったと推定されるが、
多くのオールド・イングリッシュは蜂起に否定的であった。
これが債務説が支持される由縁なのですが、
とにもかくにも武装蜂起はたちまちアイルランド全土に飛び火した。
これには、
総督府がオールド・イングリッシュをも反乱勢力とみなして敵視したため、
彼らは反乱に合流せざるを得なかったという事情が在り
したがって反乱勢力といっても徹底抗戦を主張する者と、
早期の和平を望む者とが混ざりあっていたのです。

やがて総督府が反攻に出ると、
反乱勢力はカトリック聖職者の助けをえて評議会
「アイルランド・カトリック同盟(キルケニー同盟ともよばれる)」をつくり、
組織化して対抗した。
最高評議会員24名のうち5名が高位聖職者であり、
その後かれらの意向が色濃く反映されてゆくことになる。

ボケ老人モンクが大好きな地名が銘柄名に成ったビールの
キルケニーが出て来ました。

元々はデユーダー朝から スチュアート朝へと移る過程で
先の王朝が残した問題でもありました。
なにしろ 国教会と供に 「王権神授説」を信じていた王侯達ですから。

未だ スピノザの「エチカ」に触発された理神論は起きていません。
フランスでは啓蒙思想が密やかに誕生していましたが。

戦乱とジャガイモ飢饉で 多くの人が移民として、
アメリカ大陸へ渡って行きました。

アメリカに移民として渡ったアイルランド人達の中には
南部に入植して 大規模な農園を所有し
奴隷を使用人として使う 大地主も出現しました。

有名な映画の 「風と供に去りぬ」はご覧になった方も多いと思います。
南北戦争でアトランタが廃墟に成り
女性の主人公に 男性が「好きにしたら・・」と 言い残し去るのですが、

女性が「シャムロックの咲くタラに帰ろう」と言うセリフを言うのですが、

なにしろ 高校生の時代ですから、・・・50年以上前か・・・・?

詳しくは覚えていません。

父親がアイルランド移民で アトランタの大きな家の住所を
タラと呼んで 故郷を懐かしんでいたようです。

シャムロック、とタラの丘、
映画のテーマ・ソングにも成っている 「タラのテーマ」は
名曲ですね。

アーネスト・ダウスンの恋愛詩「シナラ」からとったもので、
映画の冒頭のメインタイトルでスタッフ・キャスト等のテロップの後に、

ディキシーの調べと共にこのダウスンの詩の一句が出てくるのです。

There was a land of Cavaliers and Cotton Fields called the Old South.
Here in this pretty world, Gallantry took its last bow.
Here was the last ever to be seen of Knights and their

Ladies Fair, of Master and of Slave.
Look for it only in books, for it is no more than a dream

remembered,
a Civilization gone with the wind...

アーネスト・クリストファー・ダウスンです

c0192063_14292126.jpg

・・・・かつて在りし騎士道と綿畑の地 
人はその地を古き良き南部と呼んだ その麗しい世界で最後に花を咲かせた  
勇気ある騎士達と艶やかな淑女達  奴隷を従えた主人たち  
今は歴史に記されるだけの儚い思い出となった 
大いなる文化は 風と共に去りぬ・・・・

1つの文化が戦争という烈風と共に消え去ったことを意味しています。

南北戦争で南部の貴族的文化社会が打ち砕かれて、
その敗戦の荒廃と混乱の中から新しい再建が進められて、
南部の大地が生んだスカーレット・オハラがどのように生き抜いたかを描いており、
そしてそれは彼女の激しく燃えた恋の物語でもある。

アトランタの陥落後、故郷タラを目指すスカーレットが思い出すの

はアーネスト・ダウスン(Ernest Dowson)の「シナーラよ!」

(Non Sum Qualis Eram Bonae sub Regno Cynarae)でした。

ビビアン・リーとクラーク・ゲーブルでしたか?。

c0192063_14364691.jpg

以下に 観光名所になった タラの丘です。

c0192063_14371182.jpg

c0192063_14294718.jpg

c0192063_14365587.png

c0192063_14375749.jpg

c0192063_14381189.jpg

c0192063_14382456.jpg

故郷アイルランドのタラの丘とは、
元々 ゲール人(ケルト人)以前にこの地に住んでいた 遺跡で
現在も発掘中なのです。

観光客用にこんな遺跡も

c0192063_14383565.jpg

タラの丘は 昔の王様がアイルランドをこの場所から支配していたと
考えられていて、
アイルランド人の心の故郷なのです。

ウイキペデイアより引用です

タラの丘(英語:The Hill of Tara、アイルランド語:Teamhair na Rí)は、
アイルランドのミース州ナヴァンの12km南方にある丘陵。
アイルランドにおける伝説上の上王たちの国が存在した地として知られる。


丘の頂には鉄器時代の要塞跡が残されている。
周囲長が1,000mほどあるこの要塞は
「王の砦(Ráith na Rig)」と名付けられており、
連結された円形の砦「コーマックの居城(Teach Chormaic)」と
「王座(Forradh)」が有名である。

王座の中心部には「立石(Lia Fail)」(リア・ファル)が残っており、
上王はここで即位の儀式を行ったと推定されている。
円形要塞の北には「捕虜の墓(Dumha na nGiall)」と呼ばれる
新石器時代の羨道墳がある。

数世紀に渡って考古学者たちがタラの発掘をおこなっており、
これまでの研究成果からは1169年のリチャード・ド・クレアによる侵攻以前には
タラの丘がアイルランドの政治的、精神的中心地であったと見られている。
その歴史は現在も完全には明らかになっていない。

ケルト族がアイルランドに居住した時代には
既にタラの丘は何らかの聖地として用いられていた。

伝説ではケルト族よりも前にアイルランドに住んでいた神族
トゥアハ・デ・ダナーン Tuatha Dé Danann が
タラの丘を住居としていたとされる。
最近の研究から遺跡の一部が新石器時代、
5,000年ほど前のものであることが分かってきた。
捕虜の墓にある通路には
毎年11月8日と2月4日に日光が差し込むよう設計されており、
これはケルトの祭日と一致する。
ケルト族がアイルランドに渡来すると、
ミース王がタラの丘から全アイルランドを支配した。
最もよく知られている歴史は
6世紀まで続いたタラの上王の居住地としてである。
王の即位は立石の前で行われた。
その繁栄は失われたものの12世紀までこの役割は残されていた。
丘陵付近で発見された墓の埋葬者は
アイルランドの最後の非キリスト教徒の王であった
ロイガレ・マク・ニアル Lóegaire mac Néill のものであると考えられている。

1798年のイギリスに対する反乱の際
ユナイテッド・アイリッシュメンはタラの丘にキャンプを構えたが、
5月26日の戦闘に敗れ400名が殺害された。
19世紀にはダニエル・オコンネルがタラの丘で
アイルランド自治を訴える演説会を開いたが、
この集会には100万人ものアイルランド人が集まっている。

映画『風と共に去りぬ』で主人公のスカーレット・オハラの住む「タラ」は、
父親がアイルランド移民であることから、この丘の名に由来する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%81%AE%E4%B8%98

昔 馬術を遣っていた事もあり
牧草としてのシャムロックが好きで 
こんな お話しに成りました。

イギリス人の若い女性が 義憤に駆られて
クルド人支援に向かい クルド人女性兵士と供に戦闘に参加していましたが、
先週末 トルコとの国境近くの町で 
トルコ軍の空爆で亡くなったと・・・・伝えています。

雑誌の表紙には 軍服姿の 若い女性が載っています。

父親の表情は 可哀想で見る事が出来ません。

c0192063_14550206.jpg

c0192063_14551204.jpg

痛列な人生ですね。

c0192063_14513950.jpg

ア然です・・・・。












[PR]
by monk-1 | 2018-03-20 14:57 | Comments(0)


<< 「蕎麦屋」談義はもう結構 目まぐるしい世界情勢です。 >>