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ネコパンチ

飲み足りなかったのかな?早く目が覚めてしまいました。

目覚ましは ここ数年4時半なのですが今朝は2時過ぎに目が覚め もう少し寝ようと~~

でも 無理でした・・・・・。

意識すると 却って眠れなくなりますね、少し早かったのですが 「良寛」さんも

夜半目が覚めると 灯りをともし 香を焚き 道元禅師の「正法 眼 蔵」を 紐とき

 「フムフム まっこと 我が意を得たり・・・」 とか何とか 言うのですが、

俗人で 絶えず逡巡する迷い人の私としては 

取り敢えず いつものように 「コーヒー落とそう」 と・・・・・・

美味しく落とせました
(先日銅製のヤカンと同じく銅製のサーバーを一年ぶりに磨いたせいかな??)

PCを 立ち上げメールの整理しながら 取り留めの無い事を考え

起きたばかりなのに 今夕お酒の肴何にしよう?などと 本当に私は馬鹿ですね。(反省)


前回記した セネカについて もう少し書きます

素人の私の推論ですが イベリア半島(現スペイン)の都市コルドバの出身で

両親の出世と共に ローマへ移り 若い頃はローマ帝国の学問の中心地アレキサンドリア

エジプト等へも遊学していたらしいです。

後の皇帝ドミテイウス=ネロの家庭教師をしていて 後のネロに影響を与えたと言われ

54年10月 皇帝クラウデイウスが キノコ中毒(と言われています)で亡くなった後

ドミテイウスが 皇帝になります、歴史を習う時に 「暴君ネロ」と習い、覚えますがそれは

ローマの大火事件の時に キリスト教徒の放火として 大勢のキリスト教徒を捕まえ処刑

したことから キリスト教徒の反感と恨みを買い 「暴君」と呼ばれるようになりました。

事実はつまびらかではありませんが 演劇や詩 芸術を愛していた皇帝で

少し風変わりで時々癇癪を起こし、残酷な刑を命じることもあったようで

起伏の激しい晩年の精神状態も大きく関係していたのかも知れません。


ユリアヌス帝が 「背教者ユリアヌス」と呼ばれるのも キリスト教徒に破壊された

様々な ローマの神々の神殿を見て嘆き悲しみ 復興させたことからキリスト教徒の

恨みを買い 背教者・・・・と歴史上 呼ばれています キリスト教受難史観ですね。


セネカも キリスト教徒でした(近年の解釈では洗礼者ヨハネが教え シモン・マゴスが
受け継いで発展させた グノーシス思想と考えられています、イエス・キリスト教からは
異端として 徹底的に攻撃され残されている書は 僅かです)    

ネロは自殺をセネカに勧めます。

パブテスマのヨハネが イエスにヨルダン川で洗礼の儀式を授け 荒野で祈りの生活

をしていた事は 何度も書きました、 そして ヘロデ・アッパスの婚礼を非難した事で

サロメのお話になり 斬首された事も書きました

後継者として 魔術師シモンといわれている シモン・マゴスを

洗礼者ヨハネは指名していましたが

名前は グノーシスの創始者として西洋思想史に 一行だけしか出てきません


68年 マサダ砦の叛乱以来 エルサレムに住むことを禁じられたユダヤ人は散りじりに

なり 以来 流忘の民として 近代まで国を持たない民族です。

モーゼに率いられ エジプトを脱出し 神に約束された蜜が流れるカナンの地を求め続け

モーゼ以外にも イザヤ、エレミヤ、エゼキエルと言う 預言者が現れ それぞれが

旧約聖書の中で 人々と神の仲介人(予言者)の役割をになっています、

ヤハウェ、エホバ、アッラー 皆同一の神なのです。


ユダヤ教と言う根から キリスト教と言う幹が出来 イスラム教と言う枝が出来てきました

イスラム教はムハマッドと言う 預言者が 神との仲介人でしたが 神は皆 唯一神です


考えてみますと  歴史上色々な騒乱や事件はユダヤ教から派生した宗教が殆どですね


マサダの悲劇以降 キリスト教徒は既に小アジアから バルカン半島 地中海沿岸

そして 交易船を通じて イベリア半島にまで広がりを見せていましたが

イエス・キリスト教 ではありません、寧ろ ヨハネの影響が強かったようです

洗礼者ヨハネが その発言の中で「自分の後から来る人は もっと偉大だ」と言いました。

これを イエスの取り巻きのガリラヤの漁師たちは イエスとヨハネが縁戚なのを理由に 

勝手な解釈を見つけ イエスを中心人物に置き 様々な伝説を作っていきます

それまで 神と人の仲介人(預言者)から イエスを神の子と言い始めます。

水の上を 歩いたり、磔刑になったが 甦ったと 

ヨハネの再生の意味を教わっていなかったのですね

・・・・・・・・・もっと偉大だと ヨハネが言ったのは 後継者のシモン・マゴスで

その後 グノーシス主義と呼ばれ 最後は異端として 弾圧された宗教こそ 

本来のヨハネ・キリスト教の真髄だと私は考えています。

勿論 イエスは死んでいて知りません タルビオットのお墓で 父、母、、妻、息子と

骨箱が見つかっていますから、 取り巻きとの 勢力争いに負けたシモン・マゴスは

こうして 歴史上から消えていきます。

セネカの信じていたキリスト教とは 放火し 神殿を打ち壊す 

荒ぶるキリスト教徒とは違うようです


後に 私達が良く知る事となる 小アジアで(140~160年頃)著作活動していた

グノーシス主義の教師 テオドトスにより 書かれている

「われわれは 何者であったか 又 何になったのか。我々は何処にいたのか・・・・・

 どこに 行こうとしているのか。 我々は何から解き放たれているのか。

 誕生とは何か 又 再生とは何か 」

この問題の認識に達した人の事を グノーシス主義者といいます。

多くの記された 書物は徹底的に弾圧され 破棄され残っていなかったのですが

エジプトの片田舎の ナグ・ハマデイといわれる町で 「血の復讐」の権利を行使した

エジプト人が兄弟が偶然発見した 写本が 唯一です。


ヨハネが アレキサンドリアで見聞した中に 既に バラモン教(ヒンドウー教の前身)

そして バラモンに反する形で誕生した仏教もアレキサンドリアには伝わっていたようで

影響も見られます。 

仏教哲学で言う神社やお寺の 入り口には阿吽の像が立っています

阿吽の像 つまり 阿像は生命誕生の時の 母音アで オギャーア
(口を大きく開けて アーを現しています) 

吽像は死ぬ時の最後の母音 息を引き取る最後の ウッ・・・・
(口を硬く閉じて ウッを現しています)

お寺は 仁王像 神社は狛犬の表情が 阿吽の表情が良く見受けられますね。

「誕生と死 存在とは」 を ヨハネはガリラヤの荒野で祈りの中で模索していたようです。


生涯 自分の寺を持たなかった 「良寛」 さんも 「立派な門構えや大きな伽藍の中に

悟りは無い」と 教えています。


イエス・キリスト教が ローマ帝国の国教となった後も 統一はされていず むしろ 

ヨハネ・キリスト教 信者の方が多数派だったと 私は考えています。

数度に渡る公式見解 つまり 公会議を開かなければいけないほどイエス・キリスト教は

力で宣撫し信者を増やしたい教義だったようです(華麗な寺院と金銭でしょうか?)


セネカの詩篇から考えてもセネカが信じていたのはグノーシスに近く 

ローマの神々の神殿に放火したキリスト教徒とは違うと思いますが

彼は 自殺します。


共住修道制の創始者 パコミオス(290頃~346)により 修道院での祈りが唱えられ

各地に 修道会が出来 暗黒といわれる中世をヨハネの教え通り 祈りと労働の時間

により 永らえ今日に至ります

イエス・キリスト教とは 反する 異端として弾圧される宗教の殆どがグノーシス的で

権力と結びつかず 大きな教会も持たず・・・・・・・・。

グノーシスの弾圧で有名なカタリ派と共に弾圧された テンプル騎士団はどうして?

ローマ教皇も認めざるをえない 何かの証拠 

聖遺物を エルサレムから持ち帰ったのでしょうね ヨーロッパの多くの貴族が子弟を

入団させたがり、土地や金銭を寄進し 各国の国王にお金を貸し付けるほど 裕福な

騎士団でした。


ブルガリアで発見された 頭骨は本当にヨハネの斬首された頭骨かも知れませんね。


バチカンは真実を恐れず 発表すべきですね

        
               猫 パンチです
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おまけです      うわっ

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by monk-1 | 2014-05-24 13:12 | Comments(3)

先日コメントをいただき、RTしたのですが、
少し解り難かったと思い追加で書きます。

テンプル騎士団とフリーメーソンリーの関係なのですが  
少し詳しく下記に

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フリーメーソンリーのマークです

定規とコンパスは石工職人のギルドだったことの名残。
下向き三角形(コンパス)と上向き三角形(直角定規)の結合はダビデの星を形成し、
男と女、陽と陰、天と地、精神と物質など世界の二元性の融和を表現している。

エジプトのアレキサンドリアには
古代ギリシャの哲学者プラトンの著作もあったようですから
プラトンの二元論にも影響されているのかもしれません。

現代にも通じる、パトスとロゴスです。
その後 新プラトン主義、理神論、不可知主義へと発展してゆきます。

中央の「G」は至高存在を意味し、
神(GOD)と幾何学(geometry)、栄光(Glory)、寛容(Grandeur)等を意味する。

また「G」にはグノーシス(Gnosis)の意味も込められている。

グノーシス主義は異端としてテンプル騎士団と共に
(仏)ラングドック地方で大虐殺されたカタリ派の住民もグノーシス主義者です。
(グノーシス主義ボゴミール派で主に東欧が主流でした)

ブルガリアの古い教会の跡の その又下の古い教会遺跡から出土した
斬首された”洗礼者ヨハネ”の遺骨では?と騒がれた
大理石の箱が発見されたとかきましたが・・・・

イスラム帝国と東ローマ帝国(東方正教会)に挟まれた地域の特徴もあり、
ヨハネ主義者(グノーシス主義者が)多数派教会の弾圧を逃れて
大勢移住していたのか?

ハザール汗国は 9世紀になるとユダヤ教を国教とします。
ユダヤ教?と言っても
モンクは私見ですが 
ユダヤ教エッセネ派(ヨハネ主義、グノーシス主義)ではないかと?

取留めの無い事を考えています。
ブルガリアの古い教会跡の遺跡から出土したヨハネの遺骨は
その地方に現在も伝わる ヨハネ信仰の表れと。

ドナウデルタと呼ばれる ドナウ川が黒海に注ぎ込むデルタ地帯は
考古学のみならず、歴史的にも十分ば光が当てられていません。

古のドナウデルタ地帯に存在した、
ハザール汗国が
ロシア(ルーシー・ハン国=キエフ・ロシア)に滅ばされた後

諸説あり ハザールの軛(くびき)と呼ばれる
オゴタイハン配下のパトウ・ハンがキプチャク王国の首都を
元ハザールの首都 イテイルをサライと名付け首都にしたことで
正確には史書には 載っていないがハザールは滅亡したとされる 

南フランスや南西部のスペインとの国境近くにある
ラングドック地方には
既に中近東から移住していたユダヤ人の居住区域に 
多くの東欧系アシュケナージと呼ばれるユダヤ人が移住し
フランス南西部はラングドック地方のみならず、
ユダヤ人(ハザール系)の一大勢力圏となり
ラングドック地方はテンプル騎士団が最後に
仏国王や多数派教会に抵抗した場所でも有ります。
フランス北部の王侯貴族たちもうらやむような
文化と経済の繁栄を見せていましたが、

テンプル騎士団と共に 住民達も惨殺されました。
住民達とはカタリ派(グノーシス主義、ボゴミール派)の事です。

テンプル騎士団は其の設立の過程から、
シトー修道団を外す事は出来ませんが、
どちらも ヨハネ主義者でした。
質素な白い僧衣と 
労働と祈りを大事に考える修道士たちでした。 

長らく調べようが無かったのですが、
エジプトの古代語、コプト語(古代ギリシャ語に6文字加えた)で書かれた 
ナグハマデイ写本が発見され研究がされ始めました。
(エジプトのナグハマデイで発見されたことから ナグハマデイ写本と呼ばれる)

数学や幾何学に代表される 論理的(ロゴス)な積み重ねが基本の
石工の力学も 当時は秘匿性が高い
石工同士だけに伝わる 回りから視ると 
神秘的な技術だったようですが、

現代科学の萌芽の時代だったようです。
その後 錬金術の発達へと進化してゆきます。

現在でも百トンにも及ぶ 
大きな石の精密な細工や運搬手段は
謎が多いようです。

個々の建築道具は人間の美徳と対応し、
直角定規は道徳、コンパスは真理、
こては結束と友愛、槌は知識や知恵を象徴している

因みに前総理こと ルーピー鳩山の祖父 鳩山一郎が 
友愛と言う言葉を使い始めました
鳩山一郎は フリーメーソンリーです。

フリーメイソンリーには「自由」、「平等」、「友愛」、「寛容」、「人道」の
5つの基本理念があると言われています。

グノーシス主義はパブテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)が、
後継者に指名したシモン・マゴスが押し広め、
その後を継いだドシテウス等が
創設した思想と「西洋思想史」には記されていますが、 
文献は今まで無く、
それまでは古代異端思想として 

異端攻撃をしていた多数派教会の文書からしか
読み解き研究することができませんでした、

特に多数派教会の、
エイレナイオスの異端攻撃の残されていた書簡が頼りの状態でした。

アレキサンドリアには既にヨハネ教団と呼ばれる団体が存在し
又「死海文書」の研究からも死海近辺に在った「クムラン教団寺院」も
後には ヨハネ教団の寺院と知る事が出来、
ヨハネがユダヤ教最後の預言者と多くの支持と信頼を得ていたことも解り

つまり ユダヤ教エッセネ派が グノーシス主義の母体となったことが解かります。

ヨハネの父 ザカリアはエッセネ派の司祭でしたので 
ヨハネも当然始めにはエッセネ派に所属して 
ユダヤ教の教えを勉強したものと考えられますが、

斬首されたヨハネの最後から
ヨハネの頭骨伝説が 現在も伝わり、
地中海側や東欧には ヨハネの頭骨伝説が現在も在り、

中世の教会絵画の中にも
何故かカラバッチオを始め 多くの絵画の中に

頭骨(スカル)が描かれています。

その後 祈と労働を重んじる生活の中から
アレキサンドリアへの 遊学、古代エジプトのイシスの思想などに触れて
グノーシス(認識、知識)と言う考え方に たどり着いたのでは?と考えられます。
フイロ・ソフイア、知を愛すると言う言葉を哲学と名付けたのは、
明治期にドイツ留学から帰国した 西周です。
哲学とは随分堅苦しい名前ですが、
当所のプラトンやソクラテスの考え方とでも・・・・。
人間の本質に迫る 
パトス(生物的な本能)とロゴス(論理的な思考)の間で揺れる
人間学でした。

ビザンチン帝国、アラブ帝国(アッバース朝)に挟まれたハザール王国では
キエフ・ロシア国のウラジーミル大公に嫁いだのは
ビザンチン帝国の王女アンナであったが、
アンナはその前にドイツのオットー2世に求婚された際、
これをすげなく拒否している。理由は格が違うというものであった。
そのアンナがウラジーミル大公に嫁いだということは、
ビザンチン帝国とキエフ・ロシア国の格が違わなかったことを示している。
それはキエフ・ロシア国がハザール王国の後継者であるからであった。
ウラジーミル大公が、ビザンチンなど西側の文献で、
時々、ハン(汗)とかカガン(可汗)という
トルコ系(ハザール)特有の呼び名で呼ばれているのは、これを反映しています
現在も歴史書が少ないハザール王国ですが、
9世紀中ごろに ユダヤ教を国教とします、
こうして ユダヤ人以外の国でユダヤ教を国教とする
不思議な国家が出来ました。

ユダヤ教、エッセネ派、グノーシス主義は激しい弾圧を受けた団体です。
宗教=思想=グノーシスと考えると

ナチスが弾圧したユダヤ人はアラブ系、セム系の民族では有りません。
でもユダヤ教徒とされています。
現代のイスラエル人もアラブ系、セム系では有りません。

イスラエルに移住するユダヤ人の中では、
ロシア人が一番多いそうです。
ハザール系ユダヤ人が信じていた宗教のユダヤ教とは?

歴史から消された エッセネ派=ヨハネ主義・グノーシス主義者では?
モンクの私見ですが。

後世ユダヤ人として世界中で活躍している人は
グノーシス主義の思想を持ち
反キリストをおもてだって言わない ユダヤ思想の人では?
そう考えると フリーメーソンの弾圧も
理解できます。
カタリ派=グノーシス主義・ボゴミール派の弾圧も理解できます。

何故 ユダヤ教徒が南フランスに居住していたのか?
イスラム王国が東西に侵略していた頃
イベリア半島に進出し ピレーネ山脈を越えて
南仏にまで進出しています。
地理的に ラングドック地方はぴったり合います。
奴隷として兵役で連れてこられたのか?
傭兵として 戦いに来たのかは解りませんが。
独立運動が激しいスペインのカタローニア地方にも
何か特別な理由と訳が有りそうです、
又は影響かも・・・・。

アラブ系・セム系以外の人が信じるユダヤ教とは?
エッセネ派が進化させた 
グノーシスの思想=考え方 ではないか?
とボケ老人は考えます。

以下にBBCが様々な資料を参考に複願した
アラブ系(レビ人)のイエス像と

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現代の捏造されたイエス像を掲げます。

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多数派教会はイエス像までねつ造しています。


そんな中でも ヨハネが追及していた
祈りと労働  
そして認識する事や知識を追求する事が祈に通じて来ます。
論理的な思考と 人間の欲求を素直に知る事で
プラトンが言う 肉体は精神の墓場である
霊性に目覚める事が必要と言う考え方にたどり着きます。

宗教を利用した集金組織化した 
バチカンのイエス・キリスト教とは違い
祈と労働を重要視する姿勢は 
様々な人達に影響を与え
シトー修道会以外にも 
多数の修道会がバチカンの目を逃れ設立されて行きます。
又 その思想や考え方も強い影響力を持ち
中世から近世にかけて 
東ローマ帝国のキリスト教の守護者を任ずるドイツでは
色々な 秘密の結社や騎士団が作られました。

修道院の修道僧が着る 僧衣は質素をむねとし
現在でも 白衣です。

また 東方正教会のコンスタンチノーブルが陥落後
ロシアとギリシアに拠点が解れていた正教会と、
ローマを本拠地とする多数派教会が和解したのは
ごく 近年の事です。

時々イスラエルのエルサレムに在る
聖墳墓教会(イエスの墓が在る?とされる)の管理は
多数派教会側と正教会側が交代で行われていますが、
その管理方式を巡り 

司教が殴り合いの争いを時々行います。(笑)

因みに イタリア領土の約三分の一を占めていた
ローマ法王領をイタリア政府に取り返したのは
独裁政治と批判されている ムッソリーニ氏でした。

国土の三分の一が キリスト教の最高位のローマ法王の領土で
其処から上がる収益は全て 
ローマ法王個人のものでした。

バチカン銀行とスイス銀行には 
どの位の?隠れたキリスト教関連の資産が有るのか?
アンタッチャブルなのです。

ずっと後に成りますが、
グーテンベルグの印刷術の発明で
それまで一般人には高額な写本以外 
触れることも、目にすることも出来なかった聖書を
一般人も手にする事が出来るようになり、
宗教学が起き 研究されて
プロテスタントと呼ばれる 分派が派生し

キリスト教もカソリック、と
プロテスタントに分かれます。

プロテスタントと呼ばれる切欠を作ったと言われる
マルテイン・ルターは 
ユダヤ系(ハザール人)の人々に改宗を勧めますが
頑なにユダヤ教を信じていて 
改宗には応じません。

ルターは以来 強列な反ユダヤ主義者になります。
彼のテーブル・トークには
「元々彼等(ユダヤ人)は、無一文の放浪者なのだから、
 彼等の財産は我々の物」と

過激な発言を繰り返します。

残念なのは 横の繋がりを重要視しない修道会の特性と
新プラトン主義等の影響で
当所のヨハネ主義や グノーシス主義とはかけ離れた、
秘密結社も作られて行きます。

そんな中に 屠畜業や金融以外の職業に就く事が難しい
ユダヤ系の人たちは 
秘密性の高い結社 フリー・メーソンの母体となる
横の連帯の強い結社を作り 
世界中にそのネット・ワークの互恵性から大きく成って行きます。

世界金融資本の揺籃期とも言えます。

「祈と労働」の静謐な宗教、思想が 変質して行きます。

異端認定で地下に潜り 秘密結社の様に成って行くヨハネ主義者達と
ポルトガルやスコットランドへ艦船で逃亡した
フリー・メーソンの仲間たち

ポルトガルでは名前が キリスト(預言者)騎士団の合流し
イスラム社会から得た天測の技術を使い
南アジアの貿易を牛耳っている アラブ人の船を襲い始めます(私掠船)

スコットランドへ逃げたテンプル騎士団の仲間は
先祖がバイキングの シンクレア家に保護されて
有名なロスリン・チャペルを作ります。

ロスリンチャペルの内装には
柱の装飾に 当時は未だ発見されていない
アメリカ大陸の トウモロコシの模様が使用されています。

グリーンランド経由で 
バイキングは既にアメリカ大陸への航路を知っていたようです。

フリー・メーソンがコロンブスが発見する数百年前に
アメリカ大陸に渡っていたようです。

歴史で教わる コロンブスの叔父は
ポルトガルのキリストの騎士団のメンバーでもありました。


当時 未だイエスはヨハネの弟子で後継者の
シモン・マゴスをライバル視していましたが 
知識や認識には大きな差が在ったようです。

キリスト教のキリストとは 
古代ギリシア語の「クリストス」から来た言葉で
 
後世使徒達はヘブライ語ではメシアとなると付け加えましたが、
本来は 預言者、占い師、救い主、魔術師等の意味があり
ユダヤ教ファリサイ派の人たちは
イエスをエジプト魔術師と呼んでいます。

裏切者ユダは銀貨数枚でイエスを売った裏切り者と・・
ナグハマデイ文書が発見されて その中に
イスカリオテ(地名)のユダが書いた
ユダの福音書と言う 写本が見つかり

多数派教会の使徒達の捏造がバレてしまいました。

ユダはイエスの欺瞞を見抜き ヨハネ主義者、
グノーシス主義者に成ったのです。

多数派教会の激しい弾圧に依り
宗教の歴史上から 裏切り者として抹殺されていました。 

「士師(預言者)の時代から王の時代」へと 
古代ユダヤ社会は変りますが、 
民衆の中には厳しい生活を我慢しながら

いずれ救い主が現れる、 
それは驢馬に乗ってと言うメシア信仰が残っていました。 

イエスがエルサレム市内に驢馬に跨って現れ
徴税使の机をひっくり返したと言われていましたが、
民衆信仰を上手に利用したのか?
後世の作り話です。

虐げられていた民衆の間には 
驢馬に乗ったソロモン王の末裔?か親族(救い主)が現れると言う
救い主信仰がありました。

イエスの
「地上で預金するより 私に預け天国に貯金しなさい」等と
オレ、オレ詐欺のような 説教をしていたことや、
「金持ちを天国に導く事は 
 駱駝を針の穴に通す事より難しい」等の発言からは、

ユダヤ教徒がイエスを「詐欺師」
「エジプト魔術師」と呼ぶ意味もうなずけます。

以前 
「テイル・オイゲン・シュピーゲル」を書いた時に引用した 
ヨーロッパの渡り職人、
石工には玄関口で彼等しか理解できない独特の足踏み
(ステップ)があると 
当時は小樽商大の教授だった、著者で故人の阿部謹也さんの
中世ドイツをテーマの本から紹介しましたが 

現在はフリーメーソンリーの挨拶の握手が
イラク南部に現在も存在するマンダ教徒に伝わっています・・・・・。
ヨハネ教徒なんです。

グノーシス主義も ドシテウス派、ヴァレンテイノス派、
マルキオン派、ナハシュ派ボゴミール派と 
枝分かれしてゆきます。

ピタゴラスが創設した 
「ピタゴラス教団」もグノーシス主義者とする説も在ります。

古代ヨハネ・キリスト教の仲間内にしか解らない握手と
何か共通点があるように思われます、

ドイツ人女性で神学者がマンダ教徒に
”イエス”について尋ねた所
誰だ?そいつは との答えだそうで、
ユダヤ教徒が「ペテン師イエス」と言うのと
変らないそうです。

マンダ教はイラク南部に古代の侭存在する
ヨハネ主義者の村落ですが、
イラク戦争後は 如何?なっているか?解りません。
矢張り 秘密を守る所為か 独特の秘密の握手が有ります。 

下記もフリーメーソンリーの口外してはいけない
秘密の握手の徽章です。

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多神教時代の秘儀宗教には 
祭司になる過程で受ける様々な修行の中には
参入儀礼(イニシエーション)の始めの幾つかの約束の中に
「沈黙の約束」が在り 
修行の内容や体験を口外することを厳しく求められていて
約束を破ると祭司への道は そこで終ってしまいます。

キュベレ密儀、デイオニュソス密儀は
かなり凄惨な儀式で知られていますが
エレウシス密儀、オルベウス密儀、イシス密儀等は
どちらかと言いますと静かで瞑想的な修行の中で最後に、
光に包まれる(イルミネーション)

音や神経が覚醒するワインや薬草等の薬物を使用したりした結果に
イルミネーションを向かえ 
神の予言を聞くことができる「預言者」と言う
最高の大祭司の資格を修行する事で獲得されると言う事のようです。

因みに「現代思想辞典」では 
パブテイスマのヨハネが指名した後継者 シモン・マゴスが
当時 異端思想と弾圧されていたグノーシス思想を
一世紀半ばに始めたと書かれています。
時期的にはマサダ砦の戦闘以降であっています。

辞典では魔術師と書かれていますが、
クリストス(キリスト)の古代ギリシャ語では
預言者、占い師、と同義語で
イエスがメシア(救世主)と言う 
ヘブライ語の意味を付け加えたのは 
イエスの死後 
エルサレムに住めなくなって各地で我先にと布教していた
イエスの使徒と呼ばれる子分達か?
ローマ帝国に認められてから
何度も行われた公会議で 
ミラノの司教アンプロシウスのような有能な人間が 
イメージ操作と正当性を作り上げていったのでしょうね。


石工団体(ストーン・メーソン)を元にした名残りとして、

石工の道具であった直角定規とコンパス(Square and Compasses)が
シンボルマークとして描かれ、内部の階位制度には
「徒弟(Entered Apprentice)、
 職人(Fellow Craft)、親方(棟梁とも訳す。Master Mason)」
の呼称が残っており、

集会においては、
元は石工の作業着であるエプロンを着用するようです。

ピラミッドに目の「プロビデンスの目」をシンボルとするのは
フリーメイソンだけではなく、
かつて啓蒙思想の者が好んで使用し、
ヨーロッパで流行したシンボルでありました。

この目のマークも 
洗礼の儀式と共に 再生、復活、という 
エジプトの秘儀思想イシス信仰に見られる 
「ウジャトの眼」と一緒で 
アメリカのドル札にも書かれています。


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グノーシスの基本は 「認識」や「知識」 
英語では「アイオーン」ラテン語では「イーオン」となるそうです。
間違えていたらごめんなさい。

なにしろ 千数百年の間
多数派教会の異端攻撃や追求を逃れるために幾つもの
秘密結社を作りながら 
狙いを逸らしてきたようですから・・・・・・・・・・・。

フランス西部に現在も存在する 
シトー修道会の流れに所属する修道院には
其の存在が噂されていた石造りの技術者
(中世フリーメーソン)の流れを組む
修道者が修行していて、
テンプル騎士団に象徴される
ヨハネ主義者と石工(ストーン・メーソン)が
おそらく 始めて融合した出会いの修道院のようです。

十数年前 山形県鶴岡市の教会に安置されている、
黒いマリア像への疑問から始まった
ボケ老人の彷徨は
フランス西部に存在するシトー会の修道院の存在を知り
納得がいきました。

黒いマリア像は 矢張り古くから信仰されている
エジプトの女神イシス信仰か
使徒達に追われて フランス南部に逃亡したと言われる、
マグダラのマリア信仰のいずれかですね、

只 聖書にのる黒い女性を美しいと称える部分を考えると

イシス紳への信仰かなと・・・・・?

ユダヤ教寺院から破門されたスピノザは、
神についての考察で 
創造神以外の神を認めず、
広い宇宙を想像した何者か?以外が 
神を名乗ることを拒否します。(イエスの否定)

後に「理神論」に取り入れられて行きますが、
イエスの神聖を否定します。

中世の啓蒙思想の揺り篭となり、
同じくメーソンリーだったマルクスは
「無神論」に行き着きます。
共産主義の無神論はロシアに革命を起しますが、
ロシア革命も明治維新と同じで 
フリーメーソンリーの金融支配が係わっています。

昔のロシア革命のポスターですが、
旗には自由、平等、博愛、と書かれています

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友愛思想団体に変貌したフリーメイソンリーは、
イギリスから、商業や文化のネットワークを介して、
ヨーロッパ諸国、ロシア、アメリカ大陸、
さらには 
西欧諸国従属下にあるアフリカやアジアの植民地にまで広り
民間人を対象とする国際的な互助組織がない時代だったので、
会員であれば相互に助け合うというフリーメイソンリーは、

金銭的に困難を抱えた人間にとって
非常にありがたかったために、
大きく広がり
ウィーンのロッジに加入していたモーツァルトは、
同じロッジのフリーメイソンに
借金の無心をした記録が残っています。

そこには テンプル騎士団が始めて導入した
金融の知識が生かされています

フリーメイソンリーが広まった時期は、
絶対王政から啓蒙君主、
市民革命へと政治的な激動が続く時代でもあり、

特定の宗教を持たずに
理性や自由博愛の思想を掲げる
ヨーロッパ系フリーメイソンリーは、
特定の宗教を否定することから、
自由思想として(イエスの否定等)
カトリック教会などの宗教権力からは敵視されたようです。

とりわけフランス革命の当事者たちの多くが
フリーメイソンであったため、
しばしば旧体制側から
体制を転覆するための陰謀組織とみなされました。

第一次世界大戦の引き金になった
サラエボでのオーストリア=ハンガリー王国の皇位継承者の
フランツ・フェルディナント大公夫妻暗殺も
犯人と犯人に武器のピストルを与えた人もフリーメーソンで

後にロシア革命を煽動し引き起こしたのもフリーメーソンです、
因みにマルクスもエンゲルスもフリーメーソンと言われていて
互助組織にすがる無神論に傾倒するマルクスの理論も
達成不可能な馬鹿な理想論の書き連ねと言われていて
共産主義?って何なんでしょう??

ナチス・ドイツの時代にはマルクス主義や自由主義とともに
民族の統一を阻む抹殺されるべき教説として扱われ、
弾圧を受けましたが。
独立戦争にかかわったアメリカにおいても白眼視される傾向があり

ちなみにニューヨークの自由の女神像は
フランス系フリーメイソンリーとアメリカ系フリーメイソンリーの間に交わされた
贈り物という側面もあり
(ラテン系フリーメーソン、セファルデイ系ユダヤ人)イタリア、フランス等
(アングロサクソン系フリーメーソン、アシュケナージ系ユダヤ人)イギリス、アメリカ等
台座の銘板にはその経緯とメイソンリーの定規・コンパス・Gの紋章がきざまれている
その他にも
ボーイスカウトの創設者ロバート・ベーデン=パウエル
ロータリークラブの創始者であるポール・P・ハリスはフリーメイソンであったが、
社会奉仕と慈善活動に専念する
ライオンズクラブ国際協会の創設者メルビン・ジョーンズもフリーメイソンである
以下引用です
東京のフリーメーソンのロッジ(会員の建物)です

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東京タワー手前左下にある
屋上が緑色の地上12階建ての建物はメソニック38MTビル、
その手前にある
同じく地上12階建ての建物がメソニック39MTビル。
日本グランドロッジ、他4つのロッジ、

またさらに日本メイスン財団
(旧・東京メソニック協会)の住所となっている
低層の東京メソニックビルディング(東京メソニックセンター)は
メソニック38MTビルとメソニック39MTビル左の街路樹の所にある」
以上ウイッキペデイアより

神奈川近代文学館の館長をなさっていて 
「清貧の思想」の著者 故中野孝次さんは
病に伏せ入院された時に 
ローマ時代の詩人で哲学者
「セネカ」の詩集を一冊だけ持って行かれたそうですが  
セネカ像です

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某国営放送の特番のイントロで 
タヒチに移住した画家ゴーギャンのセリフとして
「我々は 何処から来て そして何処へ行くのだろう?」と 
どや顔が浮かんでくる最初の画面を放送していましたが、
そのセリフはゴーギャンでなく 
セネカの詩集に収録されているのを 
ゴーギャンが自身一番大きな作品に
ゴーギャンの絵を見た何方かが勘違いしたのでは?

しかも その発言はセネカ自身が言ったのではなく
グノーシス主義者で哲学者の別人の先生の発言で 
当時幅広く考えられていた思想です

何故こんな事を?と 思うでしょうが
グノーシスの基本 
「認識」「知識」には同じ疑問を 祈りと労働で知る事と
解釈できるからです。

「洗礼者 ヨハネ」が 荒野で祈って知りたがっていた事は??
「私達は 何処から来て  何処へ向かっているのでしょう」

ある神学者に依りますと 現在のユダヤ教に端を発した 
イエス・キリスト教イスラム教を覆し 
西洋思想の重大発見になるかもしれないと

但し 50~100年後だそうです。
数世紀たった
フリーメーソンの上位の位階に位置付けられた 
総合扶助が出来る人達
秘儀思想の沈黙の掟を頑なに守り 
金融で生きている人たち、

現在の世界金融資本家達は
フリーメーソンの閉ざされた上位位階に位置する
誰も知らないメンバー達と噂されるのは?

現在金融帝国主義とか 
金融植民地国と呼ばれる国が出来ているからでは?

謎ですね。

今日はカレーを作りました 
そろそろ馴染んだ頃のようで良い匂いがします
それでは失礼します

スキンを代えてから 読みにくい処が有りましたので、
一部を補記いたしました。2016、7,10

追 新たな学説や発見がありましたら
補記し続けます。

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by monk-1 | 2014-05-14 16:14 | Comments(3)

異端

サボっていた訳ではないのですが 久々の書き込みです。
陽気が良くなった連休中、「みなと祭り」に、赤レンガ倉庫で「ビール祭り」など
飲兵衛で 好奇心旺盛なおじさんとしては出かけなくてはと・・・・・? 
外出が多くなっていました   
合間に図書館と歯科医さんですから・・・・。一応これは弁解です。

ブログupを何方も期待しているわけではないのに 何故か少しだけ罪の意識です
ベランダのローズマリーが 今年は沢山の花を咲かせてくれて 
薄紫色の花が風に揺れていて 心地よい空間を演出してくれています。

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相変わらず様々な事件が起きていて、
韓国のフエリー沈没事件で大勢の人達が亡くなったようで、
亡くなられた方そして御遺族の方達には 
ご冥福をお祈りすると共に心より お悔やみ申し上げます。
大勢の高校生がいたようで 返す返すも残念ですね

世界中から追悼のメッセージが届いているそうですが、
気になったのは ローマ法王フランチエスカの言葉です、 
追悼の言葉の後に 
「これを機会に韓国民が理性と霊性に目覚めてくれる事を期待します」と言う言葉です。
??と 思われる方も多いと思いますが このせいでしょうか?
韓国の 国宝だそうです

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イエスキリストは韓国人で キリストが馬小屋で誕生した場面だそうです
続いて

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これは 有名な「最後の晩餐」だそうです・・・・・・・・・・ウム???
続いて

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これは 韓国人のキリストが 磔刑の場面だそうです
冗談ではなく この絵が国宝?で真面目に信じているのかしら?
怪しげなキリスト教の団体が数多くあるとは聞いていましたが 
まさかと思います。
法皇も 目にしていたのですね
かの国では原始的なアニミズムの世界が跋扈していて 
やれ「風水」だとか「気」だとか「占い」等 
科学や理性では考えられないものが 世の中を支配しているようです。

元々朝鮮族の出自は アムール川中流域で生活していた 半農半猟の民族と言われる
エヴェンギ族と言われていて 南下して来て南満州辺りから半島に住み着いたようです。

宗教を名乗るオカルトな信仰で信者を増やし、組織化した上で 
集金組織化し蓄財する方法が手っ取り早く 
少し利口な人は その資金で実業の世界に出て行くようです。

沈没したフエリー会社も、オーナーはオカルト宗教の創始者で 
多額の資金は海外口座に隠し、韓国国内では法律を無視した酷い事を行い
(船の違法改造で重力を無視し 積載荷重の制限も無視していて)

本人はフランスのルーブル美術館で 作品(写真)の展覧会を?行うと言う異常さです
何故ならば「作品」を見ましたが 
とても評価に耐えられるような「作品」ではないからです、
つまりルーブル美術館もお金さえ払えば、誰でも展覧会の場所を貸してくれると・・・
そういうことです、
フランス人は 現実的ですね。

日本にも政権与党と連立を組むオカルト教団と海外から指定されている 
在日が乗っ取った宗教団体がありますね。
そういえば集団結婚式で一躍有名になり、その後霊感商法とかで
日本人から多額の詐欺商法でお金を集め、 
NYに豪邸を建てたまでは良かったのですが 
その後脱税容疑で捜索された挙句、韓国に逃げ帰った為にアメリカ入国禁止になった、
文鮮明率いる統一教会なんてのもありましたね。 

現在でも日本で大学では名前を隠しサークル活動、そして路上勧誘 
名前を隠蔽しているので正直な日本の若者が引っかかり 
中には故郷の畑や自宅迄巻き上げられた人もいるそうです。
彼等が洗脳した若者を、”集団結婚式”と称する結婚斡旋業では、
嫁不足で悩む韓国の疲弊した農家の男に、日本人女性を斡旋する名目で
一人当たり、百万円以上の料金を韓国農家より受け取り、莫大な資産を築きました。

次回冬期オリンピックの開催地平昌も、北に入れあげていた文鮮明が
日本人から巻き上げた有り余る資金でリゾート開発したのですが、 
如何せん付け焼刃とノウハウを持たない為に採算に合わない事を知り
鼻薬を嗅がせていた政府高官に言い渡し、
急遽オリンピックの会場にさせた事実は暴かれているのに 
単独で冬のオリンピック開催は無理なので、日本から資金とノウハウを出させようとして
日韓議連の議員が動いているそうです(売国議員の名前も解っています)。

関西には布教の名目で多くの韓国キリスト教?の牧師と称する人たちが
大勢居住していて 
ご他聞に漏れず、子供や女性への性犯罪が耐えないようです 
捕まるのは一握りで多くは事件発覚前に帰国したと言う弁明で逃げ帰ります
又は隣国(台湾でも多くの被害が)でも同じことを繰り返しています 

あきれてしまいますね

閑話休題

テンプル騎士団のお話しが 
フランスのラングドック地方でカタリ派の人たちと一緒に異端審問で異教徒とされ 
虐殺された所までは書きましたが
その事後の事を調べているので 
概要だけ簡略に書きたいと思います。

異端審問でフランス王と法皇の企みを事前に知ったテンプル騎士団の幹部達は
事前に多くの資金とエルサレムから持ち帰った様々な秘宝と共に
夜半に紛れて逃亡し 
一部はポルトガル騎士団を頼り、一部はスコットランドえ逃亡しました。
1307年ドーバー海峡に面したフランスのスペイン寄りの港町 
ラ・ロツエル港から逃れました。
スコットランド王は先祖がバイキングのシンクレア家の出身で 
北欧からグリーンランド地中海のマルタ島迄、
マルタの騎士団は十字軍で大活躍した騎士団ですが
先祖は バイキングと言うのも 頷けますね。

因みにスコットランドに上陸したテンプル騎士団はシンクレア家の庇護の下で
有名なテンプル騎士団の教会ロスリンチャペルを作り 
英国との戦いには率先して戦闘修道僧の名にふさわしい戦いをしたそうです、

ロスリン教会の十字架は以前当ブログで紹介した
コロンブスの船の帆に書かれていたパテイクロスです    
ポルトガルに逃れたテンプル騎士団は 
ポルトガルの「キリストの騎士団」とその後行動を共にします。 
尚 コロンブスの義理の父親は「キリストの騎士団」の団員です。

少し長くなりますがコロンブスが1492年新大陸発見と歴史書には書かれていますが
その 数百年前にテンプル騎士団がアメリカ大陸に上陸し、その証拠もあります。
勿論 現在のアメリカ歴史協会は 無視していますが、

アメリカ先住民のミクマク族の伝承では 
その頃から ミクマク族は決め事やトラブルを解決する手段として 
裁判のようなものを行っていて(グルースカップ伝説)
ノバスコシア州のオークアイランドなど 
土地を譲った証拠に石碑を建てた僧兵(騎士団)の存在を明らかにしています。 

その写真は未だ手に入っていませんが
北欧バルト海に浮かぶゴトランド島で静かに祈りと労働の生活をしていた
シトー修道会の僧たちが使用していた
ルーン文字で書かれイースターテーブルと呼ばれる暗号表を使用していました 
したがって 英語やラテン語圏の人達には読解が無理で 
古くバイキングのルーン文字を知る人でなければ気付かない形式を取っていたのです、 
下記はルーン文字です

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テンプル騎士団設立に当たって
創設者が シトー修道会の設立者の強い支援が在った事を考え合わせると
納得がいきます。
下の写真は 北欧に現在も存在する ルーン文字の石碑です。
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上部の十字架が「パテイ・クロス」です
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現在も研究中ですが 取り敢えず簡略な粗筋だけ書き込みました、
テンプル騎士団の守護聖人は聖ヨハネで、洗礼者ヨハネとだけ呼ばれているのは
後の多数派教会の位置付けで、事実は別にあり
ユダヤ教最後で最高の預言者ヨハネはエッセネ派と呼ばれる派に所属し
ユダヤ教エッセネ派=グノーシス主義ヨハネ教団とも言うべき最大の派を率いていて
後継者にはシモン・マゴスを指名していました。
死海近辺に存在した「クムラン教団」もアレキサンドリアに存在したヨハネ教団も
ヨハネの教えが広く伝わっていた証と考える事が出来ます。
因みに テンプル騎士団と供に異端として弾圧を受けたカタリ派とは、
グノーシス主義ボゴミール派の事で 多くは東欧に存在していて 
その後ロシアに滅ぼされた
「ハザール汗国」がユダヤ教を国教としていた事を考慮すると、
フランス南西部に一大勢力を築いていたユダヤ人社会に
多くのユダヤ人が移住したと考えられ
欧州社会でも優れた発展を見せていた ラングドックを中心とした社会は
フランス北部に比較しても繁栄を極めていて、
フランス王がその財力に目を付けたとしても 納得がいきます、
ヨーロッパ社会が垂涎の眼でユダヤ社会を見ていたようです。

ナチスの親衛隊長ハインリッヒ・ヒムラーは「長いナイフ」事件の後突撃隊を吸収して
ヒットラーの警護を兼ねた親衛隊長になりますが、
晩年オカルトに凝ったと言われています。
戦勝国の 
多数派キリスト教徒のレッテル貼りですから 余り気にしていませんが
親衛隊の徽章が 何故か?ルーン文字で
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軍の帽子の徽章に スカル・アンド・ボーン(大腿骨と頭蓋骨)
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スカル・&ボーンは 異端として弾圧を受けていた
ヨハネの頭蓋骨を信仰した古代少数派のヨハネキリスト教と関係あると 
私は考えています 
以前古いブルガリアの教会の下の遺跡から出土した
頭蓋骨の一部と人体の右側の指、足の骨を考古学者が小躍りして 
ヨハネの斬首された頭蓋骨の一部を発見したと言っていましたが
地中海沿岸に残る 「頭骨信仰」海賊の旗で有名な 「スカル&ボーン」
アメリカ東部のアイビーリーグと言われる名門大学に残る不思議なクラブ「スカル&ボーン」
謎は益々深まります、
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尚スカル&ボーンは ユダヤ教の風習で遺骨を骨棺に収納する時の
頭骨と大腿骨の収納方法のようで、並べ方を変えると収納できないようです。

海賊船は当時は私略船と呼ばれていて 
キリスト教カソリックの大国スペイン、ポルトガルに植民地から送られてくる
様々な財産、貴金属を掠奪する、私略船と考えると旗印が スカル&ボーンは
納得が出来ます。 

ヒムラーが調べていたのはドイツでは 「ユンカース」と呼ばれる
エルベ川東岸の貴族達のことで 
古くは神聖ローマ帝国時代から続く
「グーツ・ヘルシャフト」と呼ばれる騎士団の末裔達の事です、
ブンデンブルグ辺境に位置しその後のプロイセン帝国時代の近衛軽騎兵のマークも
「トーテン・コップ」 と呼ばれる頭骨なのです。
古代から 中世へと騎士団の変遷とキリスト教の真実 
暗黒と言われる中世に権威と権力が結びつき 
様々な 驚くような事が行われていました、
それは近世の植民地経営にも繋がりますが 詳しくは又 閑な時に書き込みます

問題が広がりすぎて 整理に非常に戸惑いながら進めています
暫くは図書館通いが欠かせません 
若い頃 語学をきちんと勉強しておけば良かった
反省ばかりです。

                   お手上げと言う意味ではありません

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        私にもこんな頃あったのかしら?

酒肴の買出しに行ってきます。





by monk-1 | 2014-05-10 14:01 | Comments(7)

森羅万象 気になることを記します