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足跡

洋上徘徊台風 10号が午後にも東北地方に上陸するようです、
横浜も一時的に 陽が射していたのですが、雨が降ったり 止んだりです。
北関東から 東北地方、北海道地方のかた 十分にお気をつけください。

FRBのイエレン議長の発言に 一喜一憂しながら為替が上下し
株式市場も動いています。
此処に来て ロシア経済は欧米の制裁の甲斐も無く 比較的安定しているようです。
フランスの議員のクリミア訪問に続き、イタリア議員団も訪問するようです。
ウクライナは如何する事も出来ず 指をくわえて見てるだけという
完全なアメリカの外交ミスになってしまったようです、

バイデン副大統領の長男が死に、
ウクライナのシエールガス掘削から石油メジャーのシエブロンが撤退を表明し
本来ならば バイデンの長男が州知事を辞めて 
石油関連の企業の役員として入り込む予定でしたが、
全て中途半端になり 
残されたウクライナ西部を本拠とするネオナチグループが
頑強に東部で戦闘維持を行い、
都市部ではテロでジャーナリストを殺しまくると言う
フイリッピンの大統領より凶悪な殺人事件を起しているのですが
メデイアは伝えませんね。

ユーロ離脱を決めたイギリスでは 親中国のキャメロンンに代わり
メイ首相は中国絡みの案件を見直している事は 前回書きましたが

金融街シテイを操るロスチャイルド卿の動きが不気味です。

国連本部ビルは米・ニューヨークにありますが
これは、ロックフェラー財閥が寄贈した土地に建てられました。
また主要ポストは
ロスチャイルド財閥の人脈(血縁者)とロックフェラー財閥関係者で占められていて
いまでも国連の主要ポストは両財閥の関係者で占められています。

つまり、振り返ってみると、
「第二次大戦の勃発から、原爆の開発と使用、そして、戦後の国連の創設に至るまで」、
すべてが両財閥の計画通りのようです、
原子爆弾に必要な原料であるウランは、
戦前からロスチャイルド家所有のアフリカのウラン鉱山から採掘され始めていて
またH・L・メンケン氏は、その著書『アメリカン・ランゲージ』の中で
「国際連合」という名称は、
日本による真珠湾攻撃の前からアメリカのルーズベルト大統領
とイギリスのチャーチル首相の間で決定されていた、と述べています。

「国際連合」といえば、学校で習ったり、一般常識で知っているとおり、
世界平和のための公益法人の組織であると理解されているかと思いますが
実際にそのような側面もありますが、
現実には、世界約200か国をまとめて支配するために、
一部の財閥が出資してできた私的機関という側面も強いのが現実であります。
常任理事国であるアメリカ・ロシア・中国・イギリス・フランスのみが拒否権を持ち、
他の国は持たない。

日本は国連にアメリカ(4億9000万ドル・2007年)に次ぐ
第二位の財政負担(3億3000万ドル)をしており、
この額は残りの常任理事国4カ国の財政負担額の合計と同額で
にもかかわらず、日本には何の決定権も与えられていない。

ここで、誤解してほしくないのは、国連職員の方の多くは、
心から平和のために働いている人々であり、
事実、国連は数々のすばらしい国際援助活動を表面的にはしています
その一方で、国連平和維持軍(PKO)は、時として、
カンボジア・ユーゴスラビア・ルワンダなどの紛争当事国へ武器密輸をしていた実態もあり
 (ニュースでは報道されない)
ここでお伝えしたいのは、「表と裏の両面がある」ということなのです。

大戦後の核の拡散についても
世界にどのように核兵器が広まっていったかの経緯を考えれば明らかです
表向きには、一部の科学者がアメリカの核独占(一極集中)の危険性に危惧し、
良心からソ連に技術を持ち出したとされているが……、
実際には、意図的に行われた行為であったと言われています。

ソ連の核開発には、
アメリカのロックフェラー財閥配下にある外交問題評議会(CFR)のメンバーであり、
またルーズベルト政権では大統領主席補佐官を務めたハリー・ホプキンスが、
意図的にソ連に原爆技術を移転したという、
レーシー・ジョーダン少佐のアメリカ議会委員会での宣誓供述があります。

このようにまず初めにアメリカからソ連に核開発の技術が輸出され、
次にイギリスとフランスへ、
そしてソ連から中国へと5大常任理事国に核が計画的に分配され、
世界中の約200の中小国すべてが
核を持つ常任理事国の支配下に置かれるという構図に成る訳です。

その後、核開発技術は中国からインドとパキスタンへ。
またアメリカからイスラエルへと輸出されていき、
さらに、水爆までもが、ひととおりこれらの5大国に配備されています
国連の常任理事国に原爆・水爆がひととおり完備された後、
1970年にある条約が締結されて、核拡散防止条約(NPT)です
この条約は、常任理事国以外の国には核保有を禁止するものであり

表向きは、核廃絶を訴える国と平和運動団体によって
核廃絶を目的に制定されたことになっているが、
その真意は、この条約を根拠に「国連非加盟国」を「核を持とうとしている国」などとして批判し、
場合によっては国際世論を味方につけて、攻撃できるという体制を整えることです

この条約と国連誘導の国際世論の攻撃の的にされたのが、
「アフガニスタン」「イラク」「イラン」「リビア」であった。
これらの国は、「テロの温床」また「テロリストを匿う危険な国」とされたり、
「核を持っている疑いがある国」という容疑をかけられ、国際社会から非難された。

しかしその実態はといえば、
これらの国々にはロスチャイルド財閥の支配する「中央銀行がない国」ということで
「核武装疑惑・テロリスト国家」=「両財閥の世界支配にとって
都合の悪い国」ということなのである。
そして、彼らを一気にまとめて総攻撃するきっかけとなったのが、
あの「9.11テロ事件」であった。
全世界を震撼させた大規模テロ攻撃で、この事件をきっかけに世界は一変しました。

このあと、世界は「イスラムの過激派テロリスト」におびえ、
彼らをつぶすためには、
とことん戦わなければならないという幻想にとらわれることになったようです

そして「イラク」「リビア」ともに中央銀行が、ロスチャイルドの手中に収まりました。

以前リビアの稿で述べましたように、リビアは有り余る石油収入で
国民の医療費、教育費、全て無料で恵まれた国家でしたが
カダフイー大佐を狂犬とイメージ付け 
何をするか解らない危険な国家とイメージ操作をしましたが

直接の原因は石油収入で北アフリカに、ドルを離れた金の通貨を流通させ
アメリカ、イギリスから離れた 独自の経済圏を作る予定でしたが、
力でねじ伏せられました、現在のリビアの状況を見ると
酷いお話ですね・・・・・・・・。

イスラエル建国の時の裏話でもしましたが
先の大戦中 火薬を安く作るアセトンを発明した 
ポーランド人科学者をイスラエルに亡命させ アセトンを作る技術をイギリスに与えました
その話を仲介したのが シオニストのロスチャイルドで 
その後イギリス外務大臣の「パルフォア宣言」となり

ポーラン人科学者は 初代イスラエル大統領となりました。

ローリング20(トウエンテイ)と呼ばれ 禁酒法が敷かれていた時代に
糖蜜をカナダに持ち込み 禁止されていたウイスキーを密造しアメリカに持ち込み
大儲けした ケネデイ家の粗祖父は ナチスの国債を売りまくり 又大儲けです、

ブッシュ一族(ハリマン財閥)も負けていません、
ユダヤ人嫌いなパパブッシュの父親も 後にフォルクスワーゲンの本社工場になる
ヒットラーの国民に大衆車をと言うスローガンを後押しし工場を作りました

おかしな事ですが あれだけ激しい大空襲を受けたドイツ国内ですが
工場だけは 無傷でした。

私達の知らない所で 歴史が意図的に動かされているようですね、
ロスチャイルドは人口13億の中国を決して 諦めていません。
日本の備えは?????。
何を仕掛けてくるか解りませんよ

前回お休みした 日本人奴隷貿易の記事です、以下引用です

日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(7)
     =キリシタン浪人との説も=下克上の世を疎み出国か  
一五八七年、豊臣秀吉は九州征伐の途上、
宣教師やキリシタン大名によってたくさんの神社仏閣が焼かれて
仏教徒が迫害を受けており、
日本人が奴隷となって海外に売られているとの報告を聞いて激怒した。

そこで秀吉は同年六月にキリスト教宣教師追放令を発布し、
その一条にポルトガル商人による日本人奴隷の売買を厳しく禁じた条項を入れたが、
奴隷貿易を阻止することはできなかった。
というのもその時点では、厳格に守らせようとしたわけではなかった。

南蛮貿易の利益は棄てがたいものであったし、
へたに民衆に棄教を強要すると平定したばかりの九州で混乱が生じ、
反乱につながる恐れがあると判断されたからだ。

秀吉とキリスト教徒の関係を決定づけたのは、一五九六年のサンフェリペ号事件だ。
スペイン人航海士が「キリスト教布教はスペインにとって領土拡張の手段である」と発言、
日本人奴隷売買と同国人宣教師の関係が疑われ、
秀吉は京都で活動していたフランシスコ会宣教師らを捕まえ、
司祭・信徒合わせて二十六人を長崎で処刑した。

この背景には、一五八〇年にポルトガルがスペインに併合され、
同じ国王を抱くようになった事情がある。
ポルトガル独自の行政、宗教、司法などの制度は続けられたが、
以後六十年間、外交的には一国として扱われた。
つまり、日本側にすれば、合併によりスペイン人の国内での活動も認めざるを得なくなった。

以前からの日本事情をよく知るイエズス会は、
秀吉の禁令後、ひっそり布教するようになった。
だが、スペインが支援するフランシスコ会は状況認識が甘く、
なかば公然と布教をしていたため目をつけられた。

キリスト教が広まった背景には、当時の社会格差、
百年以上の戦乱による人心の荒廃があり、
既成仏教にはない新しいものに救いを求める心理が働いたようだ。
ガラス、鉄砲、ワイン、メガネ、印刷術など
目新しい最新技術と共にもたらされたその考え方は、当時の民衆にとって、
体制護持派となっていた仏教が失った魅力があった。

秀吉が宣教師追放令を出したのは、アルゼンチンで日本人が奴隷として売られた翌年だ。
そんな時代背景が、彼をして日本を出させる理由になったのかもしれない。
名前のフランシスコ・ハポンにしても、
イエズス会のザビエルにちなんでいたのかもしれない。

いずれにせよ、なにかの理想を西洋社会に夢見て、
単身南米まで渡ったクリスチャンだった可能性がある。
自由渡航者として渡ったのに、途中でポルトガル人商人に騙され奴隷として売られたが、
裁判で自由を勝ち取ったと推測できる。

前出の『コルドバ』には、次の分析もある。

「キリスト教の取締りが厳しくなると、信者の中には自発的に、
あるいは強制的に朱印船に便乗して海外に渡る者が多くいた。
また一方、戦国争覇で各地に戦乱が繰り返され、大名の栄枯盛衰も激しく、
敗亡の大名の家来の中には国内で身の振りどころがなく、海外に飛び出す者も出て、
この浪人問題は当時の日本の重大な社会問題となり、
多くの浪人が海外に移住を求めるようになった。
つまりキリスト教に対する弾圧と戦乱の浪人が日本移民の始めといわれる」
  (十五頁)と日本人町の形成や、亜国の件の背景を説明する。

「さらに、当時日本の置かれていた社会情勢から推してこの青年の出国を考えた場合、
熱烈なカトリック信者であったか、もしくは戦乱の浪人『侍』であったともいえる。
いずれにせよ同民族間で限りない闘争で明け暮れる日本に見切りをつけ、
たまたまポルトガル人に嘆願し、
新天地を求める好奇心と活路を求める意で大きな野望を抱き、
ポルトガル船に乗り込み、
大陸アルゼンチンに来た『最初の南米日本人移民』だった、
と史実に基づいて断定してよかろう」(十五頁)

下克上に明け暮れ、百年以上の長い戦乱の続いた戦国時代を嫌い、
日本を飛び出したキリシタン浪人だった可能性を指摘している。
新天地に大志をもって乗り込んだサムライであれば、まさに移民の先達に相応しい。


 日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(8)
     =ポルトガルからオランダへ=政教分離進む新教に軍配  
大航海時代はスペインとポルトガルが競って世界中に飛び出した。
カトリック布教と貿易が対になって進出し、最後に植民地化する流れだった。
欧州大陸で新教が勢力を増しているため、
旧教側としては新布教地を開拓せざるをえなかった背景があった。

だが百年も持たずに、新興勢力などに追い越された。
一五八八年に「スペインの無敵艦隊」がアルマダの海戦で、英国に敗北したことにより、
欧州の覇権が旧教国(スペイン・ポルトガル)から、
新教国(イギリス・オランダ)へ移ろうとしていた。
日本も最初はポルトガルと取引したが、
カトリック勢力と一体化していたやり方がバテレン追放令を発令した秀吉や
続く江戸幕府の不審を買い、
宗教と政経の切り離しが進んでいたオランダに取って代わられた。

一六三八年に日本国内では、島原天草の乱が起きた。
三万人もの民衆が蜂起し、大きな衝撃を与えた。
幕府は徹底鎮圧し、翌一六三九年にポルトガル船の追放を行い、
鎖国(オランダ以外)を完成させた。

日本との交渉権を失ったポルトガルは一六四〇年、スペインからの再独立を果たし、
ブラガンサ王朝が成立、ようやく最大の植民地ブラジルに本格的に目を向けるようになった。

カトリック守護を掲げていたポルトガル王室は
ドン・ジョアン二世(一四五五―一四九五年)の時代に、国内のユダヤ人に改宗を迫り、
その大部分は資本をもってオランダなどに逃げた。
のちにこの勢力が新教国の海外発展に協力、隆盛につながった。

この時に改宗したふりをしてひっそりと信仰を貫き、
クリスタン・ノーボとよばれて差別され続けた人もいた。
さらに、伯国のペルナンブッコに移住して砂糖農園主になったものもいた。

一六三〇年から五四年までペルナンブッコは、
オランダの東インド会社が侵略統治していた。
ポルトガル領では禁止されていたユダヤ教もオランダ領では許された。
そこに一六三七年には新大陸最初のシナゴーグ(Kahal Tzur Israel)まで建設された。
ユダヤ系コミュニティにとっては新大陸の宗教的オアシスとなっていた。

ところが、
オランダなどの新教国に東方貿易のうまみを持って良かれつつあったポルトガルは、
伯国統治に本気を出すようになり、
一六五四年にレシフェを再占拠しオランダ人を追い出した。
この時に、ポルトガル統治を嫌ったユダヤ人百五十家族が、
十六隻の船に分乗して逃げ出した。
うち六家族二十三人が同年九月七日、
北米のオランダ領だったマンハッタン島のニュー・アムステルダムに上陸した。
このポルトガル系ユダヤ人たちが、
北米のユダヤ系コミュニティの基礎を作ったといわれる。
ここは、一六六四年に英国領となりニューヨークと名前を変え、
世界の中心たる存在感を見せるようになったことはいうまでもない。

 例えば、
一七三〇年にリスボンからこのコミュニティを頼って移住した
ポルトガル系ユダヤ人のメンデス・セイシャス家の子孫ベンジャミンは
ニューヨーク株式市場の、
モイゼスはのちのアメリカ連邦準備制度理事会(FRB)の創立者の一人だ。

二〇〇四年に北米上陸三百五十周年を祝う展示会が、
米国のユダヤ系コミュニティによって行われ、
当時のことを書き記した文書がブラジルでも注目された。

前述の通り、ブラジル側は共和制宣言の後に消却してしまったため、
奴隷の記録が残っていないが、
この北米に転住したユダヤ人たちは数々の書類を残しており、
日本人奴隷が当時、北東伯の砂糖農園で働いていたのであれば、
それに関する記述もあるかもしれない。
引用終わり

未だ々 知らないことが多いようです。
     少し疲れたようです~~。
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by monk-1 | 2016-08-30 13:09 | Comments(0)

オリンピックの喧騒も終わりました、が 
日本人選手の活躍の余韻を 全て未だ拭う事ができません
次期開催地 東京のセレモニーも良かったですね。

スパー総理、いえ スパーマリオでした。

ネット徘徊老人モンクを真似た訳でも無いのでしょうが、
迷走台風?”洋上徘徊台風10号”が北東方向に逆送し
来週にも 日本本土へ上陸するようです。

南の海で水分を”たっぷり”吸い上げ、気圧も低く 
少し強力な台風になってしまい、迷走し続けています。
来週は皆さん お気を付けください。

日、中、韓、3か国の外相会議が開かれましたが
日本の外交の酷さは今更言わなくても、
事実上押し切られる寸前のようです

外務省の役人 そして外務大臣にはきちんとした
歴史観と国家観を持って貰う必要が有りますね。

現在の外務省や外務大臣を見ていると 
とても、とてもと言う感じです、

まさに 切歯扼腕です。

中国による歴史捏造が止まりません、
そして厚顔無恥とでも言いますか

あの国の民族の特異性は 徐々にですが
世界中が理解し始めてきました。
先日も
イギリスのバッキンガム宮殿に
刃物を持った中国人が押し入ろうとして逮捕されました。
押し入ろうとした理由は
エリザベス女王を殺害する事が目的だった と、
中国贔屓のキャメロン首相が退陣し メイ首相に代わってから
様々な中国案件が中止、見直しとなり、
シテイのボス ロスチャイルド卿を中心とする
国際金融機関が狙う13億の人口を持つ 
中国経済の取り込みとは別な方向に
イギリス政治は向かっているようです。

そんな世情を表わしているのでしょうか?
中国人留学生が襲われる事件も頻発しているようです。

あつかましい中国の政治家を知る上にも こんな記事を載せます。
宮崎正弘国際ニュースより

沖縄県・尖閣諸島を
「中国古来の領土だ」と世界に向けて発信しているだけでなく、
「琉球(沖縄県)は明治政府が中国から強奪した」とまで
言い始めているのだ。
そんななか、国境問題を長年取材してきた
フォトジャーナリストの山本皓一氏は、
先日出版した自著で、
中国の許し難い歴史捏造の証拠を写真付きで暴いた。
山本氏を直撃した。

「海外取材が長かったせいか、外から日本の国境を見ていると、
常識では考えられないほど無関心・無防備に思えた。
『いつか大問題になる』と危機感を持ち、
二十数年前から国境の島々に上陸を敢行、
問題提起を続けてきた。
悪い予感は的中した。
日本人に尖閣諸島の実像を知ってもらい、
先人による開拓の歴史を共有してもらうために、緊急出版した」

山本氏の注目の新書は「日本の国境を直視する1 尖閣諸島」
(KKベストセラーズ)。

明治期の実業家 古賀辰四郎氏による尖閣開拓史と
歴史的資料を紹介するとともに、
一昨年の中国漁船衝突事件から、国有化までの動きを克明にリポート、
山本氏が上陸したり接近して撮影した
尖閣諸島の貴重な写真120点が掲載されている。

歴史的にも国際法上も、尖閣諸島は日本固有の領土だが、
傍若無人な中国は強奪を諦めていない。
同著にはなんと、
中国人が
「釣魚臺列嶼中国領土(=尖閣諸島は中国領土)」と刻まれた石碑を、
尖閣近くの東シナ海に沈めていた事実と証拠写真が記されている。

同著によると、歴史捏造の証拠写真と記事が掲載されたのは、
香港紙「文匯報」のニュースサイト「文匯網」(2004年3月26日)。
黒曜石の立派なもので、
「中国民間保釣連合会は3月上旬、
 中国主権を示す20個の石碑を尖閣海域に投げ入れると宣言した」
と報じたという。

この直前の同月24日、中国人7人が魚釣島に強行上陸し、
沖縄県警に入管法違反の現行犯で逮捕されている。

また、中国のタブロイド紙「新京報」(04年1月17日号)は、
「20個の石碑を、
釣魚島海域の東経123度17分、北緯25度40分に投げ入れた」
と報道したという。
海中投下は複数回行われたのか。
新京報が報じた経度・緯度は、魚釣島の西わずか20キロ弱の地点である。
山本氏はいう。
「50年後、100年後に石碑が発見されたとき、
『尖閣諸島は中国領という動かぬ証拠』とアピールするためだ。
かつて、チベットを侵略したときも、
中国の古い貨幣を地中に埋めたというが、
後で発見させて『昔から中国の一部だった』と主張するため。
中国の常套手段といえる」

中国は長い歴史の中で「易姓革命」という王朝交代を繰り返してきた。
戦いで勝った者が新しい皇帝を名乗り、
前王朝の関係者や施設を抹殺・破壊して、
自分たちに都合よく歴史を書き換えてきた。
現在の“共産党王朝”も、歴史をねじ曲げることに何の躊躇もないのか。

現に、中国は先日、国連で「尖閣を日本が盗んだ」と演説したばかりか、
米紙「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」に
「尖閣は中国領」という広告を掲載し、
米政府や議会関係者に盛んにロビー活動を行っている。

中国がここまで露骨に尖閣強奪に乗り出したのは、
やはり3年前の政権交代が原因だ。

当時の鳩山由紀夫首相は、米軍普天間移設問題で日米同盟を傷つけた。
さらに、最高実力者とされ、
「在日米軍は第7艦隊だけで十分」と豪語した小沢一郎幹事長
 (現・国民の生活が第一代表)は2009年12月、
民主党国会議員143人を引き連れて訪中。
リップサービスとはいえ、
「例えて言えば、私(小沢)は人民解放軍の野戦司令官」とまで語った。

山本氏も「あれから、中国の尖閣奪取の動きが早まった。
『日本が弱体化した。今がチャンスだ』と見極めたのだろう。
昨年3月の東日本大震災直後、
私は『中国漁船が6月に尖閣上陸を画策している』という情報を得た。
ところが、日本人が震災に冷静に対応し、
海上保安庁や自衛隊が守りを固めていたため、
その時は見送ったようだ」という。

日本の「尖閣国有化」を受け、来月の第18回中国共産党大会で、
次期総書記に就任予定の習近平国家副主席は、
さらなる対日強硬路線を取ることが指摘されている。

山本氏は警戒する。
「日本領海に中国公船が侵入しており、何があってもおかしくない。
尖閣を取られれば、沖縄も取られる。
すでに中国は『琉球独立』を訴えて、
琉球共和国の憲法から国旗まで作っている。

日本をチベット化するつもりか、
東日本を『日本自治区』、西日本を『東海省』とする、
地図まで作製している。

一部知識人の中に
『小さな島のことで、中国と争うことはない』という人がいるが、
日本を社会主義化させて自分が『赤い貴族』になりたいのでは。
先人が築いた日本の歴史を抹殺させてはならない」  引用終わり

数年前に記載された記事ですが、
現実はその通りに侵攻してきているようです。

「労務報告会」に所属していた 
韓国人の背乗りした「吉田清治」がばら撒いた嘘
従軍慰安婦問題を見ても、火のない所に火を点けて、
国内のマスゴミや
左翼、自称文化人(映画監督、俳優、ジャーナリスト)等と
日本破壊を狙ってきています。

何が?文化人かわかりませんが
そういえば 戦後 文化鍋や文化住宅が流行った時期がありますが、

占領軍の洗脳教育と左翼に寛容な政策を利用し
アホな知識人が雨後の竹の子のように生まれた時代でした。

都知事選で馬脚を表した 「鶏の頭」ならぬ 鳥何とかも
下半身の性衝動(トリガー)の遺伝子は 完全に半島系ですね、

半島人も3世4世は帰化したりしてますので、
見た目には解りにくくなっていますが 
遺伝子までは帰化出来ないようです。

そしてもう一つ アメリカに本部を置き反日活動を続ける
中国、韓国の事ですが
大統領選挙も もう酷い泥試合で見たくもありませんが
クリントン元大統領が設立した「クリントン財団」の基金に 
中国系の会社から多額の資金が流れ込んでいて 
今回民主党の大統領候補の元国務長官 クリントン女史の
媚中政策が少なからず問題になっています、

他国で日本批判をし 
日本を貶める色々な捏造を歴史の正史だと嘯く連中と

それを上手に利用して 日本をあくまでも属国化したままにして
都合よく利用できる国の儘にしておく 
アメリカの政策は何なのでしょう?

こんな評論と記事も・・・・・・宮崎メルマガからの引用です。


アメリカでも真珠湾攻撃から大東亜戦争への対応の誤りを研究
 冷静なルーズベルト批判が情報公開によって
 公の機関からも出る時代となった

  ジェフリー・レコード著 渡辺惣樹訳・解説
『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』(草思社)
 
米国陸軍戦略研究所から衝撃的な報告書が出ている。
原題は『日本の戦争決断1941、その今日的教訓』とするもので、
執筆は米国空軍大学教官で
乗員軍事委員会専門委員のジェフリー・レコードである。
 
その主旨は
「あの戦争はルーズベルト外交の失敗が半分の原因」としていることで、
日本だけを原因とする解釈に立っていないポイントが重要、

しかし『ルーズベルトの陰謀』説には加担していない。
まだアメリカ国内世論に配慮して、
「修正主義」のレッテルを貼られることを警戒しているのだろう。
 
内容に関しては本書を克明に読んでいただくしかないが、
後半の渡辺氏による解説が実に詳細を究めていて、
微に入り細に亘ってアメリカに於ける戦争原因究明の多彩な論争の中味、
その軌跡を的確に要約解説して呉れる。

実際、アメリカでは
ルーズベルトの対日政策批判は多彩に展開されていたのである。
 
真珠湾攻撃の直後からも多くが出版されたが、
最初はルーズベルト御用学者、
ジャーナリストらによる日本悪玉論、
しかし冷静に暗号解読による日本軍の通信内容とその作戦を
ルーズベルトが事前に知っていたとする説も早くからアメリカにはあった。
 
評者(宮崎)などはどこをどう読んでも、
あれはルーズベルトという
狂人大統領の病的な日本嫌いと中国贔屓、
しかも政権の周辺がコミンテルンの指令をおびた共産主義者らに固められ、
日本に戦争を仕向けた陰謀であったと
考えるしかないと思っている者の一人である。
しかし、そのことはここでは議論しない。
むしろ渡辺氏の解説の一端に触れよう。
「ルーズベルト政権の対日外交、アジア外交はとても褒められたものではない。
そのことは戦後世界を知るものには自明であるからだ。
ルーズベルトに日本への悪意があろうがなかろうが、
彼の外交が
ソビエト(共産主義思想)への無警戒という
致命的欠陥があったことは事実である。
あの悪夢のような冷戦をうみ、
数千万の自国民の命を奪っても何ら悔恨の情もない共産主義国家中国の
産婆役となったのはルーズベルトであった」。
 
かれは議会で「恥辱の日」という演説をし、
議会に対日戦線布告の同意を求めたが、
このときに
「アメリカ政府は誠実な態度で対日外交交渉を進めていたと強調し」、
だが日本が「卑怯なだまし討ち攻撃を仕掛けた」などと扇動した。
しかも「ルーズベルトはハルノートの存在を隠し続けた」のである。
 
最後に渡辺氏は重要な指摘を忘れない。
つまり日米論争の系譜をみながらも、
日本の保守はえてしてアメリカの法律用語や、
論法の手段をよく理解していない点を指摘する。
アメリカで重視される裁判の有罪と無罪の岐路ともなりかねない用法とは
「証拠の優越原則」と「合理的な疑いのない証明基準」であり、
従って「ルーズベルトの陰謀の有無については
「民事裁判では有罪、刑事裁判では推定無罪とせざるを得ない」となる。
そうした論法の彼我の差が
アメリカ理解に繋がるとされている箇所も傾聴に値する

読者の声1)貴誌前号で書評された
ジェフリー・レコード著 渡辺惣樹訳・解説
『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』(草思社)について感想です。
 日米戦争の原因見直し:戦後半世紀もたっているのに、
この重大な戦争原因がなぜ見直されていないのか疑問でした。
ウェデマイヤー将軍によると、
第1次大戦の責任論は戦後10年もすると
ドイツ単独責任論に疑問が出されて自由に検討されていたそうです。
戦争責任:占領中ヘレン・ミアーズ女史は、「アメリカの鏡日本」を著し
「戦前の外交記録を読めば米国が日本を圧迫し、
日本が必死に戦争を回避しようとしたことは明白」と記しています。
米国のアジア政策の狙いと失敗:米国の狙いは、
ジョンヘイの支那門戸開放機会均等宣言で明らかなように
支那満洲への進出です。
遅れてきた米国の白人植民地主義(帝国主義)でした。
1920年代のワシントン体制も米国は支那の保全をうたいましたが、
別に支那が頼んだわけでもなく、
米国が自分で支那を取ろうとしただけでした。
そして日本を邪魔者として敵視しました。

マクマレの建白:
そこで1935年古参外交官のマクマレは「このままでは戦争になる、
日本を滅ぼしてもソ連が南下する。
蒋介石は米国を利用しているだけだから、極東は米国の自由にならない。
米国は支那に介入するな。
日米戦争は両国にとって大損害になる」と建白しましたが
ホーンベック極東部長は採用しませんでした。
しかし戦後全て的中しました。

真珠湾事件非難の勘違い:真珠湾事件は明らかな日本の反撃でした。
暗号解読と駐日グルー大使の警報でルーズベルトは攻撃を知っていましたが、
浅海用航空魚雷を知らず想定外の大損害となりました。
そこでうろたえたルーズベルトは「卑怯なだまし討ち」と非難しましたが、
これは戦争とスポーツを取り違えた詭弁です。戦争にはルールはありません。
米国の被害は単なる油断です。
それなのに日本人までルーズベルトに騙されて
反省しているのはいかがなものかと思います。
大体、真珠湾事件は
米軍の偽装義勇空軍フライングタイガーの無通告対日攻撃に対する反撃なので
宣戦布告は必要なかったのです。
(モンク注 ルーズベルトは中国大陸から 
 フライングタイガーに依る日本本土爆撃も
 許可し、書類にサインしていました、
 当時戦前、戦後の外交文書は何故か機密指定を
 解除されません)

ソ連の米国浸透:これはルーズベルトの大油断でした。
大統領特別補佐官アルジャー・ヒスまでソ連スパイでした。
これはあろうことかルーズベルトはスターリンに魅せられ、
たぶらかされたのです。

スターリンはルーズベルトの半身不随にもかかわらず
権力欲の強い心理的な不安定性を見抜いて巧みに操りました。
最後は世界最強の筈の米国大統領が
遠く寒いソ連のヤルタまで呼びつけられたのです。

理性の光:
米国側の新しい歴史分析は日米戦争の日本犯人論に
ようやく冷静な歴史の光が差してきたということでしょうか。
東京裁判でパル博士はその判決文の最後を次の言葉で結んでいます。
「時が、熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が、
虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、
正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、
過去の賞罰の多くにその所を変えることを要求するであろう」
  (東海子)
引用終わり

そしてASEAN会議でも
 「ASEAN首脳会議での出来事に、日本の閣僚も立ち上がって欲しい! 
インドネシア代表に感謝です。
【インドネシア代表の言葉】ASEANの会議に、
韓国がオブザーバーで出席していたとき突然韓国代表が立ち上がって、
議題とは何の関係もない日本批判を始めた。
ASEAN各国の代表はまたかと思い
渋い顔をして聞いていたがいつまで立っても、
終わる気配がなかった為ついにインドネシア代表が、
韓国代表の話を遮りこう言った。
「韓国人はどうやらASEAN諸国を見下しているようだ。
我々は確かになかなか発展できないでいる。

しかしもし、日本がそばにあったら、
現在のようなASEANではなかったはずだ
日本が隣にあれば、どんな国家でも韓国程度の発展はできる
韓国の成功は、100%日本のおかげであって、
別に韓国が誇れるようなものではない。

韓国人が、恩を受けた日本人に感謝ひとつできない人達であることが
我々には全く理解できない
我々は戦前に日本から受けた恩に今でも感謝している。
永遠に忘れることができないものだ。
その結果できたのが、今ここで開催しているASEAN首脳会議である」
http://www.news-us.jp/article/382722775.html-Haruyuki Suzuki, 12/15」
日本のマスゴミは伝えませんが 
こんなやり取りもありました、
中国、韓国のあの常軌を逸した
反日捏造、偽造、貶め作戦や国内の反日分子も

アメリカの歴史を見直す事が 
都合の悪い事とアメリカ自身が知っている為に
「歴史修正主義者」リビジョニストを都合良く使っているのです。
それは アメリカの歴史学会、マスコミも同じです。

ルーズベルトの祖母のデラノア家は上海で麻薬を売買して大儲けし
上海の物流を牛耳っていて、
アメリカ大陸横断鉄道を作ったハリマン財閥にも 
鉄道建設の労働力として 大勢のクーリー(苦力)と呼ばれる
中国人奴隷を お送り込み、麻薬で縛り付けると言う
奴隷貿易商人も、影の仕事でした。

ルーズベルトの中国贔屓も 裏を返すとマザコンが、
黒歴史を肯定すると言う パトスに振り回された 
愚かな政治家なんです。

アメリカの民主主義を信じてはいけません。
原住民を虐殺しながら 出来上がった国で
西海岸迄 掠奪と殺戮を繰り返しながらたどり着き、
海を超えて 日本にまで来たわけです。
利を独占しようとする、貧欲な事が正儀に成る社会なのです。


こんな猫がいるのですね、1メートル22センチもあるそうです。
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犬だって 負けていません

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by monk-1 | 2016-08-27 14:40 | Comments(0)

レイム・ダック

熱帯低気圧が台風に進化して、三つも日本に向かって来るようです。
進む方向もバラバラで 例年の台風とは違うようです

既に大雨で浸水したり 土砂崩れが起きている地方の方は
くれぐれもご注意ください。

これ以上の被害が出ない事を祈っています。

横浜も湿った暑い空気が朝から漂い
お天気は良いのですが、湿気が肌に纏わりついています。

ネット徘徊 痴呆老人のモンクとしては、
本当は朝から暑気払いと行きたい所なのですが・・・我慢します。

ロシアの日本語版ネット配信サービスのスプートニクで見つけたニュースです。
スプートニク
長女がマリファナを吸っている模様を収めたビデオがネットに出回り
米国大統領バラク・オバマ氏の最悪の悪夢となっている。
消息筋の情報としてRadar Onlineが伝えた。



米国のオンラインリソースが今月、
18歳のマリア・オバマ氏が手巻きのマリファナを吸っている様子を収めた
ビデオを公開。
オバマ氏は激昂し娘を叱ったと伝えられた。
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任期の終わりを前に入念に作り上げた理想的な家族というイメージが
目の前で崩壊してゆく、と情報提供者が記者らに語った。
マリアに対して 何らかの処罰が加えられたかどうかは報道されていない。
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バラクおよびミシェル・オバマ氏の長女は18歳。
2016年、マリアは高校を卒業。ギャップイヤー、
すでに合格しているハーバード大学で学業を始まる前の自由な一年を楽しんでいた。
なおマリアの妹サーシャは15歳。

オバマ大統領の長女マリアさんがマリファナを吸っているところを 見られた。
キャッチされた場所は米国のロックフェスティバル「ロラパルーザ」だ。
マリアさんが喫煙している動画を記者に渡したのは、
フェスティバルで彼女と一緒にいた女性だ。
ロラパルーザは先月イリノイ州のシカゴで開催された。
イリノイ州ではマリファナは合法だ。

ビデオからはマリアさんが何を具体的に吸っていたのかを判断することは難しい。
しかし動画を記者に送ったジェルジン・セルウィンという名の女性は、
これは確かにマリファナだったと断言している。

おりしも 前回記載したように
南カリフォルニアの山火事では 80000人が避難し 鎮火の目途も立たず、
ルイジアナ州の大洪水では被害が増大している最中に
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オバマ大統領は週末の休暇を ゴルフ三昧で
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CNNを始め各メデイアに史上最低の大統領と非難されてしまい
意地悪なメデイアは ハリケーンに襲われた南部の州を視察する
出来の悪い大統領 ブッシュの映像を比較して流す始末です。
ハリマン財閥 ブッシュ家の出来の悪い息子より”酷”いと

オバマは慌てて 休暇を取り消すと言うチグハグな対応をしたようです

BBCの硬派な番組 「ハード・トーク」でも 出席した有識者が
演説は上手なんですがね~~と、
口先番長ですか、日本の政治家にもいましたね、
日本では「口舌の徒」と言います。
秋口の大統領選挙を控え 完全にレイム・ダック化したようです。

アメリカ外交史上 最悪とまで言われている オバマの外交政策で
中東の外交地図が大きく代わり、友好国や同盟国がアメリカを離れて
ロシアと利害のすり合わせをしている状況は、

中国が提唱した AIIBにイギリスを先頭にドイツ、フランスとアメリカの反対を無視し
参加を決めましたが 
もう其の時にオバマの外交には見切りを付けていたのだと考えられますね。

AIIBは日本とアメリカが参加しないために資金繰りや信用の問題が解決できず、
宙ぶらりんになっていますが、

IMFのラガルド専務理事が先般発言したような
中国で開催されたIMF、世銀、WTOなど「六国際機関」
トップとの会談におけるラガルド発言である。
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このIMF専務理事は先週ワシントンで記者会見し、
中国のGDP成長は
「6・5%から6・6%に0・1%上昇するだろう」と述べたばかりだった。
そのうえでラガルドは訪中し、
四川省での会議に臨み、李克強首相等と面談したあと、
「中国経済は上向き出した。改革は軌道に乗っていることが確認できた」と記者会見した。

「えっ?」。いったい彼女は中国に蜃気楼でも見たのか?
 
もっともラガルド自身、フランスで数々の疑惑の裁判が開始され、気もそぞろ、
最後のリップサービスというわけでしょうが、
中国経済の取り込みを 国際金融資本は未だ諦めていないのですね。

第二は中国が鳴り物入りで発足させた国富ファンドCICが、
始めて赤字になったと報告されたことです。
CICは当時豊富にあった外貨準備高から資本金3000億ドルを得て設立され、
おもに海外企業の株式などに投資して配当を得てきましたが
2016年現在、CICは8138億ドルのファンドにまで成長したと
CICは、2015年決算で、海外投資からの利息、配当収入がネガティブに転落した。
主因は原油、鉱物資源の下落と為替差益だと報告されましたが
他方、北米、欧州に多額の不動産投資を展開しており、
今後の不動産不況でさらに損失がでると予測されています。

中国政府が発表する数々の数字を 今更信用している人などいないでしょうが
国内経済が酷い状況になれば成る程 問題を外部に起こし
注意を逸らす手法は 独裁国家や共産主義国家のイ、ロ、ハですので、

日本は準備を怠り無くしておかなければいけません。
特に日本のマスゴミは捏造、偽造
そして中国、韓国に都合の悪い事は報道しませんから。


前回に続いて 深沢記者の日本人奴隷貿易の記事です。 以下引用

日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(5)
      売り渡したのも日本人=晴天の霹靂、驚愕する秀吉
 
戦国大名・織田信長はイタリア人のイエズス会宣教師からアフリカ系奴隷を献上され、
弥助(ヤスケ)と名付けて武士の身分を与え、家来にしたとの記録がある。
フリー百科事典『ウィキペディア』によれば、
現在のモザンビーク周辺出身の黒人だったようだ。
以下、少々長いが転載する。

「元々は宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノに仕える奴隷であったと言われている。
天正九年(一五八一年)、ヴァリニャーノが信長に謁見した際に
連れられていたのが信長の目にとまった。
信長は最初、肌の黒さが信じられず彼が身体に何か塗っているのかと思い、
二月の寒空の下でたらいに入れて家来に体を念入りに洗わせたが肌が黒いままだった。
肌の色の黒い人種がいることを理解した信長は
彼に興味を持ちヴァリニャーノへ要望して献上させ、
そのまま直臣になったと伝えられている。
信長が彼を『ヤスケ』と名づけ武士の身分を与えて家臣とし
衣食住不自由がないように取り計らってくれたことに大いに感謝し、
忠実に仕えたと言われる」

この一事をみても、洋の東西をつなぐ奴隷搬送ルートが確立されていたことは間違いない。

織田信長にしても、その後継者である豊臣秀吉にしても、
当初はキリスト教の庇護者であった。
特に秀吉は一五九二年に朱印船貿易を始め、
持ち込まれる希少品の数々に魅了されていた。

というのも、信長は仏教に対して不信感が強かった。
反信長の急先鋒であった本願寺が、
日本全国の一向一揆を動員して徹底的に抗戦し、苦しめたからだ。
その力を削ごうと、異教の布教を許したと考えられている。

しかし、秀吉はキリスト教徒による仏教徒や神道徒迫害が増えたことを憂慮し、
さらに一五八七年の九州平定を経て、日本人奴隷のありさまを見るにいたって、
考え方を一変させる。

『近代世界と奴隷制:大西洋システムの中で』(池本幸三、布留川正博、下山晃共著、
人文書院、一九九五年、百五十八~百六十頁)には、
次のような記述もある。

「南蛮人のもたらす珍奇な物産や新しい知識に誰よりも魅惑されていながら、
実際の南蛮貿易が日本人の大量の奴隷化をもたらしている事実を目のあたりにして、
秀吉は晴天の霹靂に見舞われたかのように怖れと怒りを抱く。
秀吉の言動を伝える『九州御動座記』には当時の日本人奴隷の境遇が記録されているが、
それは本書の本文でたどった黒人奴隷の境遇とまったくといって良いほど同等である。
(中略)『バテレンどもは、
諸宗を我邪宗に引き入れ、
それのみならず日本人を数百男女によらず黒舟へ買い取り、
手足に鉄の鎖を付けて舟底へ追い入れ、地獄の呵責にもすくれ(地獄の苦しみ以上に)、
生きながらに皮をはぎ、只今世より畜生道有様』といった記述に、
日本人奴隷貿易につきまとった悲惨さの一端をうかがい知ることができる」

誰が売ったかといえば、それもまた日本人だった。
『ブラジル史』でアンドウは「ポルトガルで奴隷として売られた日本人は、
九州地方のキリシタン大名によって売られたものである」(六十三頁)と書く。

アフリカで黒人をポルトガル人に売り渡したのは、黒人自身であったが、
日本においても同様のことが起きていたようだ。


 
日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(6)
     50万人説は本当か?=乱暴な計算と怪しい根拠  
日本人奴隷に関して注意が必要なのは、その人数に諸説があることだ。

インターネット(以下、ネットと略)上
であちこちに「日本人奴隷五十万人説」がまことしやかに書かれている。

その説の唯一の根拠となるのは、
鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』(成甲書房、二〇〇六年)だ。
一五八二年にローマに向け出発した天正遣欧少年使節団の報告からの引用として
「火薬一樽と引きかえに五十人の娘が売られていった」などの扇情的記述と共に
「五十万人」と書かれており、その部分だけがネットで幅広く流布されている。

と同時に「その記述にはまったく根拠がない」「原典にあたったら、
日本人奴隷が酷い状況に置かれていて驚いたとは書いてあっても、
一樽五十人うんぬんはなかった」との反論が方々のサイトに掲載されている。

ちなみに、鬼塚氏は大分県別府市在住で本職は竹工芸家。
同市の事情に詳しい「今日新聞」サイトによれば〇四年に自費出版した原著が、
「自費出版後に太田竜氏が高く評価したのがきっかけでインターネットで話題となり、
ことし(〇六年)一月末に五百部が完売」し、
それに大幅加筆したものを成甲書房が出版したという。

成甲書房は「異色ノンフィクション」をウリにする出版社で、
鬼塚氏の原著を高く評価した太田氏自身が
『地球の支配者は爬虫類人的異星人である』という奇妙なタイトルの本を出版している。
そのような筋から〃高く〃評価されて出版されたこと自体、
ある種の傾向を示している。

「担々麺亭日乗」サイトの『「天皇のロザリオ」鬼塚英昭著を読みながら)という頁には、
「鬼塚本人と良く話す者」という人物の書き込みがあり、次の計算が披露されている。

「よく問題となる、本作の五十万人の数の件は、簡単に説明すると、
概数、五十万人/期間/キリスタン大名数=年間の奴隷数となりますので、
年間に一から二万平均で、月千人から千五百人前後で、
一大名月間百人前後(私の推計)」とすれば、
「十人のキリシタン大名が毎月百人ずつ日本人を奴隷として四十一年間売り続けると
五十万人」という単純計算による乱暴な数字でしかない。

しかも同書には、さも遣欧少年使節団の報告に
「五十万人」の数字があるかのように書いているが、
ネット上の数々の指摘によれば原著にはその部分がないという。どうも怪しい。

ネット上では「日本にとって都合が悪い歴史なので、
改訂版を出す時にわざと消された」などと、
さも鬼塚氏の方が正しいと弁護する記述もあるが、通常の思考法からすれば、
原著にないことが「引用」する時に書き加えられた可能性の方を疑うだろう。

人数に関し、中隅さんは『入門』の中で、
南蛮船一隻あたり二百人くらい積んだらしいと推測し、
「南蛮船の来航は季節風の関係で、一年に一度しか来れない。
南蛮船は五十年間に約百隻ぐらい入ったと推定されている。
全部が全部、奴隷を積んでいったわけでもあるまいが、
その外にシナのジャンクも入港して奴隷を積んでいるから、
やはり二万人ぐらい出たと考えてよさそうだ」と計算した。

日本人奴隷がいたことは間違いないが、誰にも正確な数字は分からない。
少なくとも、南蛮船の物理的限界からして「五十万人」はありえない。
となれば「数千人から数万人」という曖昧な数しか出せない。

四百年以上前に異国に奴隷として売られ、働かされた日本人たちの思いは
どんなものだったか。
きっと「いつか日本に帰りたい」という強い望郷の念に駆られ、
自分がどこにいるかすらも分からず、
記録にも残されずに歴史から消えていったに違いない。 引用終わり

先日 世界遺産登録申請に長崎の教会群が申請することが決まったそうですが、
過去に哀しい日本人奴隷貿易が
キリスト教徒に依り行われていた事は歴史上の事実です。

世界遺産登録うんぬんには興味在りませんが
せめて 「日本人奴隷貿易発祥の地」として、慰霊碑位は建てるべきと
モンクは考えます
ネット上で「日本人奴隷貿易」を取り上げ 発信して十数年 もっと拡散して
慰霊碑の建立が悲願です、 引用、コピーは自由ですので 拡散お願いします。

        奴隷に売られなくて 良かったね~~
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by monk-1 | 2016-08-21 13:36 | Comments(0)

これがボスです

夜半から降り始めた雨も止み、台風一過の青空が広がっています。 
風が吹き抜けて行き、幾分暑さを和らげてくれますが、
此れから又暑い日が続くそうです。

アメリカの大統領選挙でクリントン女史の応援演説に行った
バイデン副大統領の演説が日本を騒がせています。
曰く 日本の憲法は我々(アメリカ)が作った、
トランプ候補の言う「日本の核容認論」は実現出来ない政策だ!と。

そして 数日前アメリカ国務省の役人が連名で次のようなことも 以下引用です。

米国務省さえ、オバマ外交に怒り高官50名が連署でシリア外交の失敗、
オバマを批判していた・・・・米国務省が揺らいでいる。
オバマの優柔不断、不決断によってシリアでは内戦が激化し、
すでに40万人が死亡、数百万人が難民となった。
それでもプーチンとイランの支援を得てアサド政権は、斃れてもおかしくないのに斃れない。

これはオバマ外交の失敗ではないのか。
米国はいまからでも遅くはないから
本格的空爆に踏み切るべきではないかという声明書が国務省内部に回覧され、
すでに50人を超える幹部が同意していると言う(ニューヨークタイムズ、6月17日)。

 
オバマは軍事戦略に殆ど関心がない。
頓珍漢なことばかりしでかすとして、歴代国防長官はペンタゴンを去った。
ケリーが結んだシリアとの停戦合意は、さっさと破られ、
ロシアは米国が支援する反アサド政権の拠点をつぎつぎと空爆している。
アサドの権力地盤はロシア介入、米国の不介入で皮肉にもますます安泰となってしまった。

 
従来はペンタゴンと国務省の関係は水と油。
ハト派の国務省とタカ派の多い国防相とは外交との対立が鮮明だったが、
いまでは国務省も、ペンタゴンと「統一戦線」を組むかのようにオバマ批判組に回って、
間に挟まったジョン・ケリーも為す術がない。

ケリーは中東を歴訪しても冷たくあしらわれ、
「同盟国」イスラエルからはおしかりを受けてばかり、
オバマがサウジアラビアを訪問したときリヤドは冷え冷えとした雰囲気だったという。

オバマ批判の「メモ「に署名した国務省幹部は殆どが中東問題に従事する職員で、
メモはひそかにニューヨークタイムズに持ち込まれた。  
宮崎正弘国際メールマガジンより引用 終わり

次の大統領が決まる秋口まで いやはや どうなるのでしょう?
オバマの優柔不断、軍事嫌いは以前から呆れていましたが、
此処に来て 最後っ屁のような発言を 又おこないいました。
「核の先制不使用論」です、北朝鮮、中国のあからさまな武力を背景とした恫喝、侵略に
アメリカが作った平和憲法を楯に、反米、反基地、反軍事費増大を叫ぶ
パヨクを国内に抱える安部政権は 直ぐに反対する声明を出しました。
日本の手足を縛って 如何?しろと言うのでしょうか、
此処まで お馬鹿さんな大統領とは・・・・・・・。

そしてロシアは イラクの基地ハマダンからシリア国内の反政府勢力に爆撃を始めました、
             

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BBCもCNNもこのイラクの基地 ハマダンをロシアが使用した事を大きく取り上げていて 
中東の政治地図を大きく変えると・・・。

サンクトペテルブルグでロシアのプーチンとトルコの大統領エルドアンが会談した時点で
中東の政治地図が大きく代わる事は目に見えているにも係わらず アメリカ政界は?
以下に又 宮崎正弘さんのメルマガから
エルドアンのトルコ、大転換を開始した
アサド政権を容認、IS空爆は黙認、そしてイスラエルと間もなく復交
8月9日のトルコ、ロシア首脳会談以後、トルコの変貌ぶりは驚くばかりである。
米国駐在だったトルコのNATO代表はムハマド・ゼキ将軍。
クーデタ失敗直後から姿を隠し、米国亡命を希望しているという。
ギリシア駐在武官の軍高官ふたりは家族もろとも
カーフェリーでイタリアへ逃亡したことが判明した。

米国亡命中のギュラン師を送還するようトルコがオバマ政権に要求しているのに対して、
米国は人道上の理由から「クーデタ首謀者という証拠が稀薄である」として
送還に応じていない。
EU諸国はトルコが死刑復活を計画していることを極度に警戒しエルドアン批判に転じている。
EU加盟国の条件のひとつは死刑廃止である。

またトルコ議会は月末までにイスラエルとの復興を承認する手はずで、
ちかくトルコ外務大臣がエルサレムへ向かう。
両国は2011年、ガザ暴動で巻き添えとなったトルコ人十名の死亡事件以来、
大使を召還し、外交的に絶好状態にあった。

 
トルコとの関係改善を梃子にプーチンは旧東欧にも外交攻勢を書ける予定と
AP Photo/ Bunyamin Aygun

イラン、ロシアのアレッポでの人道作戦手伝う用意
「アレッポ地域で活動している戦闘員供給のため使用されていた武器・火薬倉庫、訓練キャンプ、
指令基地は爆撃の結果破壊された。」

また、次のように強調された
「ロシアの全機は成功裏に軍事任務を遂行した後、空軍基地に帰還した」
先に伝えられたところによると、
ロシアの爆撃機TU-22M3がイラン・ハマダーン空軍基地で発見された。

アメリカ国務省の役人の歯軋りが聞こえてきそうですが、
生き馬の目を抜くと言われる 国際政治の世界では 優柔不断は禁句です。
既にISは秘密の軍事拠点を北アフリカと中央アジア、
そしてバルカン半島のイスラム教徒の中に浸透させており
アメリカがリビア空爆で成果が上っていると言っても誰も信じず、
むしろ ISの影響力がユーロのみでなく各地に広がりを見せている事に
脅威を感じています。
アメリカ国内では 南カリフォルニアでは山火事で8万人が避難しはじめ、
ルイジアナの大洪水でも 被害は未だ算定できてないそうです。

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久しぶりに 姿を現し好きな事を行っています、
事実上の国際金融資本の影のボスが こんな事を話しています。
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               ジェイコブ・ロスチャイルド卿です

ロスチャイルド卿「人類を対象にしたグローバルな金融実験が行われている」
RIT Capital Partners基金の総裁を務めるジェイコブ・ロスチャイルド卿は、
クライアントに向けた定例書簡の中で
「すでにここ数年、人類は、世界の中央銀行が行っている
グローバルな金融上の実験という条件下で暮らしている。
中央銀行は『空中から』記録的な量の紙幣を印刷し、
歴史上最低レベルまで金利を下げた」と指摘している。

またロスチャイルド卿は
「中央銀行のトップ達は、世界の歴史上、文字通り最大のマネタリー実験を続けている。
それがどんな結果をもたらすかは、予見不可能だ」と述べた。
米国のバンク・オブ・アメリカ・メリルリンチ(投資銀行)は、この8年間、
世界の中央銀行は600回以上、金利を下げたと計算している。
2008年の経済危機後、中央銀行の側から行われた資金注入の総額は、10兆ドルを超えている。
なおロスチャイルド卿は、定例書簡の中で
「ほとんどあらゆるタイプの投資は、資金の注入により増えたが、
 経済成長は微々たるもので需要も弱い、また多くの先進諸国では、
相変わらずデフレがみられる」と分析している。
先に、安倍首相は世界第3の経済大国の需要をなんとか覚醒させようと
再三の試みを展開と報じられた。

世界中をカジノ経済の賭博場にし、着々と金融植民地を作っている張本人が
よく言うよ!これが私の感想です。


日本人奴隷貿易の深沢記者の記事を載せます。

日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(3)
    =ペルーに20人の記録も=実は南米で一般的だった?
この頃の南米における日本人の記録は、驚くべき事に亜国の青年一人だけではない。
ペルーに二十人もが住んでいた記録があるという。

在亜日系団体連合会(FANA)のサイト(http://fananikkei.exblog.jp/6461148/)の
『同日本人移民史』要約には、
「当時、アルゼンチン領土まで含むペルー副王領において、フランシスコ・ハポンだけでなく、
十七世紀初頭、二十人ほどの〃日本人種土人〃が新世界に連れて来られ、
ペルーのリマに〃奴隷〃として住んでいた」という記述もある。
一六一四年に行われたリマ市人口調査の報告に二十人の日本人の居住記録があるのだという。
このことは、アルゼンチンの青年のケースが例外的な存在ではなく、
むしろ当時、あちこちにいたことを示唆するものと言える。
スペイン人が植民地を作った場所では、日本人奴隷は一般的に使われていた可能性すらある。
 
一四九四年にローマ法王の裁定により、ポルトガルとスペインはトリデシリャス条約を結び、
カーボ・ヴェルデ群島の西方二千二百二十キロ地点から東をポルトガル領にし、
西側をスペインと定めた。
そのためスペインはパナマ両岸に港を作り、中米から太平洋岸を南下した。
南米では、スペインの遠征軍が一五三三年にペルーのインカ帝国を蹂躙し、
植民地政策をとって南下を始めていた。
一五七二年、最後のインカ帝国皇帝トゥパク・アマルーが処刑され、
栄華を誇った文明は根こそぎ破壊された。
スペイン人はさらに南下して現在のボリビア、チリ、アルゼンチンの地域を次々に征服した。
その流れの中で、アンデス山脈を越えた彼らは、コルドバを一五七三年に拓いた。
フランシコス・ハポンが奴隷として売られた一五九六年の、わずか二十三年前だ。
そんな開拓地にまで日本人が連れてこられていたということは、
一五四三年に開かれた副王領(スペイン王国の代理行政機関)であるリマに、
一六一四年当時、二十人いたことは何の不思議もない。
両国はライバルとはいえ、隣国であり、商業的つながりは強い。
とくに南米は両国が独占していたから奴隷の売買も珍しくなかったに違いない。
亜国の日本人青年がポルトガル商人の手によって連れてこられたなら、
同じようにブラジルに来ていても何の不思議もない。
むしろ、ポルトガルの植民地ブラジルにより多くいたと考える方が自然だろう。
ポ語版Wikipediaの「Escravidao」項によれば、
一六世紀前半から北東部のサトウキビ生産のために、アフリカから黒人奴隷が連れてこられた。
主な受け入れ港はリオ、バイーア、レシフェ、サンルイスだった。
中でもバイーアは奴隷市場の中心であった。
その地域の古文書館のような場所を探せば、
もしかすれば日本人奴隷の存在を示すような文書が見つかるかも知れない。
ただし、デオドロ臨時政府のルイ・バルボーザ蔵相が共和制宣言の翌年、
一八九〇年十二月四日付けの法令で、
一切の奴隷記録を義務的に集めて消却したため、実態が把握できない。
 

『ブラジル史』(アンドウ・ゼンパチ著、一九八三年、岩波書店)は
「五百万を超えていない」という専門家の調査結果を示した上で、
「黒人奴隷のブラジルへの輸入数がこのように不確実であるのは、
(中略)奴隷がブラジル史に『黒い汚点』をつけたものであるという理由で、
奴隷に関する一切の公文書を焼き捨てさせたためである」(五十四頁)と説明する。
当時はイエズス会の神父たちも奴隷を買い取り
(アルゼンチンの日本人も奴隷として買ったのは神父だった)、
自分たちが経営する農場や牧場の仕事に使っていた。
前述の地域で一五〇〇年代から続く古い教会があれば、そこにも何かの史料があるかもしれない。
もしかしたら、一五五四年にイエズス会がサンパウロに上陸し、
パチオ・ド・コレジオを作った時、実は日本人奴隷がいたかもしれない――
などと想像するのも面白いが、
研究者に尋ねても、残念なことに、今のところなんの確証もないようだ。
ポルトガルのリスボンなどの古文書館にもなにかあるかもしれない。
研究者諸氏の奮闘に期待したいところだ。

 
日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(4)
=中国、韓国人奴隷も?=イエズス会と東方貿易
十六世紀当時、世界地図をポルトガル中心に見た時、日本とブラジルには奇妙な類似点がある。
両国は世界の両端だった。
世界の西端がブラジル、東端が日本だった。
堕落したカトリックを救済・再建する目的で一五三四年に設立されたイエズス会は、
世界の異端者と戦うための軍隊型組織を持つ布教の〃先兵〃として、
ポルトガルの支援を受けて常に最果ての地に向かった。
その目標の東端が日本であり、西端がブラジルだった。
一五四九年、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に到着したのと同じ年に、
ブラジルには総督府制がしかれ、初代総督トメ・デ・ソウザが赴任しているが、
初代教区長として同行したのがイエズス会のマノエル・ダ・ノブレガだ。
 
今では世界最大のカトリック人口を誇るブラジルと、
人口の一%未満しかキリスト教徒のいない日本は、布教開始は同期生だった。
 
中隅さんは『入門』で「日本とブラジルは、カトリック布教ということでは、
同時に出発したということになる。
とはいえ、イエズス会の布教にかける情熱、使命感ということでは、
圧倒的に日本に比重がかかっていた。
大航海時代の海外進出は、貿易と布教がセットになっているのだが、
貿易でも布教でも、未開のブラジルと日本では比較にならなかった」(百六十六頁)と書く。
大航海時代に「無敵艦隊」を誇り、世界を制覇したスペインと、
最大のライバルだったカトリック兄弟国ポルトガル。
競い合って世界の果てであるアジア、アフリカ、南米への探検隊や宣教師を派遣した時代だった。
 
十四世紀半ばのペスト大流行で欧州人口の三分の一が亡くなり、
英仏は百年戦争(一三三七~一四五一年)で疲弊しきっていたのを尻目に、
ポルトガルはインド航路発見により、アジアの香料貿易を独占した。
 
スペイン王室の支援でコロンブスが北米大陸に到来したのは一四九二年。
一五〇〇年にはポルトガル人貴族のペドロ・アルバレス・カブラルが、
インドに行く途中で伯国を見つけたが、あくまで視線は利益の多い東方貿易に向いていた。
ポルトガルは一五〇三年にインド東岸カルカッタを占領、
一五一〇年にゴアを、一五一一年マラッカを支配下においた。
これら拠点から、香料、絹、茶、象牙、宝石などの莫大な富が本国王室にもたらされた。
一五一七年には広東まで進出し、シナ貿易を始めた。
二世ジャーナリストの先駆者、山城ジョゼーは『Choque luso no Japao dos seculos XVI e XVII』
(十六~十七世紀の日本に於けるポルトガルの影響、一九八九年)でも
「日本人奴隷」という一項を設け、かなり詳述をしている。
それによれば一五二〇年ごろに最初にポルトガル人によって売買されたアジア人は
「無数の中国人奴隷だった」(百一頁)という。
一五四三年に商人フェルナン・メンデス・ピントが種子島に火縄銃(鉄砲)を伝えた。
日本にとっては、西洋社会との突然の初接触だった。
ポルトガル人からするとブラジルは偶然発見された場所だが、
日本は何十年がかりの大冒険の果てに、ようやく辿りついた最終目的地だった。
一五四九年八月にイエズス会のフランシスコ・ザビエルが訪日し、南蛮貿易が始まった。
このすぐ後から、日本人奴隷も運びだされるようになったようだ。
 
アンドウの『ブラジル史』には、ポルトガルの歴史家ルシオ・デ・アゼヴェード著
 『Epoca de rtugal Economico』からの引用があり、
「インド貿易の全盛期には、ブラジルのインディオをはじめインド人・シナ人・ジャワ人、
さらに日本人までも奴隷として輸入していた」(四十九頁)とある。
十六世紀末には、日本も海外拡張を目指していた。
豊臣秀吉は明の征服を目論んで朝鮮出兵(一五九二、一五九八年)をした。
この時、日本に連れてこられた朝鮮人が奴隷としてポルトガル商人に売られていったとの記述もある。
つまり日本人同様、アジア各地の人々が南米にまで来ていてもおかしくない。
引用終わり

教科書には記載されていない 歴史の真実です。
猫の写真はお休みします。

 

by monk-1 | 2016-08-17 14:20 | Comments(0)

奴隷貿易

明けて行く東の空を見ながら、

何時もの通りパイプに火をつけ雲を眺めていました。

青空も遠くに見え、
白い筋状の雲の色が朱色になったと思ったら、
どんどん雲が流れてきて 
現在は明るい空ですが、
暗い厚い雲が流れてきて、 
あっと言う間に覆われてしまいました。


風が無く 空気も湿って重いようで、
早々にベランダの戸を閉め
除湿のエアコンのお世話になっている次第です。
2つ目の台風が接近しているとかで、
午後からは雨模様の予報です。
何故か今年は台風が少ないですが
エルニーニョが終わり 
ラニャーニャ現象?の所為でしょうか

オリンピックも終盤を迎えて日本人も頑張っているようです、

勝っても 負けても選手の涙と、
清清しい言葉には胸を打つものがあります
ひねくれものの私も 
最近は老いた証なのか?素直に聞くことができます。
やはり ボケ老人ですね、

少し古く昨年のお話しなのですが、
フーバー研究所の西教授の講演から
(スタンフォード大学フーヴァー研究所教授西鋭夫)

ではその「西鋭夫」とは何者か?
アメリカ政府の機密文書を読み解き、
GHQ占領政策の世界的権威と言われています。

世界中の天才が集まり100人中3人しか合格しない超難関、
超名門と言われるスタンフォード大学。
その中でも格が違うのがフーヴァー研究所。
元英国首相マーガレット・サッチャーは、
「政治・経済・国際問題に関して世界で最も重要 な研究組織は
 フーヴァー研究所であります」

と評価をしている。

在籍する教授は133名
(うち3名はノーベル経済学賞受賞者)。
前政権時にはそのうち25名が

ホワイトハウスの要職につきアメリカを舵取りする。


西教授はその世界の情報が一手に集まるフーヴァー研究所に

30年以上にもわたり在籍している
唯一の日本人です。
長年の日米アジア研究を通じて、
日米の政財界やシンクタンクに情報源を持ち、
アメリカ政府の機密文書から
GHQ占領政策の研究で世界的な権威です。

フーヴァー研究所から出版された著書は
「日米関係、占領史、日本近代史」を研究している人間で
知らなかったらモグリだと言われるほど。

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CIAのスカウトを蹴り
ラストサムライの異名を持つ

さらにその調査能力が買われ、
博士号を取得して10日後にCIAからスカウトを受け
CIAの一員になれば、
カネも地位も簡単に手に入る。

調査官曰く「東京にはCIAの協力者がかなりいる」
「国会議員にも10人以上」(明確な数字は言わない)

「産業スパイも当然の政策だ」
(注:これらの発言は1976年当時のものである)

そしてCIAになれば毎日が大冒険だと...誘ってきた。

しかし、
CIAになるという事は国籍を変えなければいけない。

その瞬間、自分が日本人だという事を痛烈に自覚した。
そして「私が日本を裏切るれるなら、
将来、アメリカも裏切る。
CIAはそんな人間を雇うべきではない」と断り、
CIAの調査官が感激し、
リアル・ラスト・サムライとの異名を持つ。
(※西鋭夫著 「日米魂力戦 中央公論新社」より)


2015年6月30日、

東京ビックサイトにて

フーヴァーレポートの会員600名以上の方に
「平成占領70年」というテーマで講演会を開催。

日本人の誇りを取り戻すべく、
数ヶ月に一度のペースで数百名規模の講演を開催している。
西教授の熱い講演を聴くために、
遠方から足を運ぶ方も多数おり、

講演は毎回好評を博している。


1941年大阪生まれ。

関西学院大学文学部卒業後、

ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士)
J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後
1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。


それより現在まで、
スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。

現在日本が抱えている多くの問題は戦後の占領政策、

中でもプレスコードと
洗脳政策が大きく影響しています。
戦後教育の中でも歴史に於いては 
歴史学者の不勉強と阿りで
通史と言われる物が幅をきかし
アカデミズムの退廃は現在にも大きな影を落としています、

いわんや 
そんな先生に教わって大学を出た輩の歴史観は 
よく言う自虐史観処か、
日本を貶め滅亡させるような 
奇天烈な歴史観でメデイアやTV局の司会者等が
嘘だらけを発信しています。

通史に対する疑問を少しでも持っていただきたくて 
以下の疑問点を抜書きしました、 

お考え下さい。

以下に講演目録より一部を引用します。

日本の教科書に書かれている、
幕末から明治の内容をざっとまとめてみました。
これを読んで、不思議に思うことはありませんか?

日本は鎖国していた。

唯一オランダと出島で交易していた。

ペリー来航後、
アメリカから強い脅威を感じた幕府は、外国に屈服し、
不平等条約を結んだ。
弱腰な幕府の勝手な対応に批判が巻き起こり、
朝廷を敬い(尊王)、外敵を撃つ(攘夷)
尊王攘夷運動が起きた。

その運動に対して、幕府の井伊直弼は、
吉田松陰などの志し高い人々を激しく弾圧し、
処刑した(安政の大獄)

吉田松陰の松下村塾では尊王攘夷が説かれ、
その弟子である高杉晋作、木戸孝允、
伊藤博文などは維新や明治新政府で活躍した。

坂本龍馬を始めとする志士たちの働きで、
薩長同盟が結ばれ、
幕府は敗れ大政奉還へ。

新しい明治政府は、西欧に習って文明開化、
富国強兵を進めていった。
こんな風に学校で習ったな・・・
などと思ったのではないでしょうか?

この内容は、

今も子どもたちが学校で学んでいることとほとんど同じです。

ここで、少し砕いて考えてみましょう。
この内容は簡単に言ってしまえば、
「幕府は悪者で劣っていた。
 偉いヒーローが現れて幕府を倒し新しい日本を作ってくれた」
 と言えます。

しかし待ってください。幕府が築いた時代は、
そんなに腐敗したものだったのでしょうか?

江戸時代は政治システムが整い、
戦争がない平和な時代が250年も続きました。
江戸時代の前後を考えれば、
その前は戦国時代、
明治時代からは数々の戦争を経験しています。

この時代は日本にとって、

貴重な平和の時代だったのです。

また、並外れた好奇心と勤勉さを持った日本人は、
オランダから仕入れた西洋技術に磨きをかけ、
その技術力は当時世界トップクラスでした。
江戸の町が清潔で機能的だったことも有名です。

上下水道が整い、
無駄のないリサイクル社会でした。

「武士道」を含む

日本文化が大きく開花したのもこの時期です。

この日本の繁栄を育んだのが、

江戸幕府の時代です。
それでも教科書通り

「幕府は悪者で劣っていた」と言えるのでしょうか?


今度は逆に、

この「ヒーロー」を含めた別の視点から見ると、
明治維新には多くの不可解な謎があります。
これを見ても、教科書の歴史を信じますか?

例えば・・・
維新のヒーロー坂本龍馬に誰がカネを出したのか?

海援隊という
5?60人の働いてない男たち を養うカネは
どこからでてきたのか?
大量の武器を買うカネはどこからでてきたのか?

(今の価値で50億円とも言われます※日本銀行高知支店のHPより)


軍艦を買う金は?
全国各地に出張しまくるカネは?
一体、誰が何の目的でそのカネをだしたのか?

明治維新はロシア革命と一緒で 

ユダヤマフィアの陰謀で実現した?

100万人の幕府軍は簡単に圧勝できたのに、

なぜ突然、戦闘を放棄したのか?

日本中の刺客から狙われていた坂本龍馬、
一体だれが殺したのか?
なぜ犯人が分からなかったのか?
世界の4分の1を植民地にし、
日本の目と鼻の先まで迫っていたイギリス。
中国ではアヘンをばらまき中毒者だらけにすることで
骨抜きにして侵略していったのに対し、
なぜ、同じ手を次の標的の日本に使わなかったのか?

「攘夷!攘夷!」と叫び、
外国人の追い出し活動に走り回った
伊藤博文などの長州藩の志士。
それがなぜ、
明治維新前に突然手のひらを返して
敵国であるイギリスに留学したのか?

現在も世界最大手のイギリス系金融グループの銀行が、
明治維新前に既に横浜に支店を開設していたのはなぜか?

ここまで見ても、
誰かが裏でジワジワと手を回していたことに気づくでしょう。

それを隠すためには、
ウソの歴史を作り上げることが必要だったのです。
明治維新から150年経った今になっても、
子どもたちや私たちに
ウソの歴史を教えなければならないほどの、
隠したい真実の歴史とはどんなものだったのでしょうか?
この講演録は、
われわれが知っている美しい、
憧れの明治維新とは全く違った、
現実の姿を教えてくれます。

聞き終わった後には、
きっとあなたの「明治維新のイメージ」は
全く変わっているでしょう。
それだけでなく、
その後の歴史の見方そのものが変わるかもしれません。
その後の歴史も
全く違った視点から見ることができるようになるでしょう。

西鋭夫教授曰く、

われわれが知っている明治維新は
その時の御用学者が書いた歴史で、
真実とは違うようです。
ぜひこの講演録を聞いてあなた自身で判断してください。
引用終わり


次いでですからお教えしますが、
坂本龍馬はフリーメーソンの武器商人
トーマス・グラバーの使用人兼弟子でした。

又出てきましたね、フリーメーソンが、
徳川幕府にはフランス政府派遣の軍人などが、
顧問として採用されていましたので
英国の東インド会社(ジャーデイン・マセソン社)は 
幕府には武器を売りませんでした。

代わりに武器(アーム・ストロング砲)は 
薩摩、長州に売られ
その後の明治維新の戦いの帰趨を決めました。


今日はフリーメーソンのお話ではなく 
オリンピックのサッカー初戦で日本が負けた

ナイジェリアのボコハラムが
又無茶な事言ってるようです。

2014年4月に学校を襲い
少女218名を誘拐しました。
一人は逃げ出してきましたが 

未だ200名以上の女学生が人質になっています。

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ボコハラムはイスラミック・グループと称していますが 
特定のグループには参加せず
ナイジエリア北東部の地下資源などの利権を巡り 
テロ攻撃を日常化しています。
国土は荒れ放題になり
 
衛星写真で見ても植生が変わってしまっています。

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Satellite image of the village of Doro Baga,
or Doro Gowon,
in north-eastern Nigeria taken on January 2, 2015.
Image shows an example of the densely packed structures
and tree cover.Satellite image 2, taken on January 7, 2015,
shows almost all of the structures razed.

The red areas indicate healthy vegetatio

そんなボコハラムが少女達を 奴隷として売り飛すと
政府や国際社会を脅しています。

男の子共や大人は 兵士として使うそうです。
奴隷(SLAVERY)スレイブ、
奴隷を英語では“Slave”と言うが、

これは中東欧のスラブ語での
「スラブ(言語)」を語源とします

ギリシアとの戦争に負けた
スラブ人の捕虜が奴隷とされたために、
ギリシャ語で「スラブ」が「奴隷」の意味となり、
そこからローマ帝国のラテン語経由で、
ヨーロッパの諸言語に広まりました。


そして 以前紹介しました 
サンパウロの日系新聞の記者 
深沢正雪記者の投稿より引用します。

日本人奴隷の謎を追って  サンパウロ 日本語新聞
     
日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(1)
=亜国に残る裁判書類=1596年に売られた日本人

「南米日本人発祥の地」は
一八〇三年にロシア船に乗ってフロリアノーポリス港に到着した
若宮丸の四人――とのイメージが強いが、
史実をたどると、どうやらそうではないようだ。
それよりも遙か以前、

今から四百年以上も前に南米の地を踏んだ
日本人の記録が残されている。

日本とブラジルとの歴史的関わりを考える上で、
ポルトガル(中世「南蛮」と称された)は欠かせない国だ。
この三国関係を軸に、改めて日伯の歴史を俯瞰し、
カトリック布教と大航海時代という背景の中で、
日本人が四百年前にブラジルに来ていた可能性を検証してみた。
将来を見通すには、その分、過去を知る必要がある。
百年の歴史から日系社会の将来を考えるより、
より長い歴史の中から日伯関係を俯瞰することで、
日系社会の二百年後、三百年後を構想する

アイデアの一助にならないだろうか。


博覧強記でしられた故中隅哲郎さんの「ブラジル学入門」
(無明舎、一九九四年、以下『入門』と略)を読み直して、
「(日本では)一五五〇年から一六〇〇年までの五十年間、
戦火に負われた多くの難民、貧民が
 ポルトガル人に奴隷として買われ、海外に運ばれていった」
(百六十四頁)との記述に目が引かれた。


驚くことに、「アルゼンチンのコルドバ市の歴史古文書館には、
日本人奴隷を売買した公正証書がのこされている」(百六十五頁)
という具体的な内容も記されている。


さっそく『アルゼンチン日本人移民史』
(第一巻戦前編、在亜日系団体連合会、〇二年)
を調べてみると、確かにある。

同国の古都コルドバ市の歴史古文書館で発見された


最初の書類では、
一五九六年七月六日、日本人青年が奴隷として、
奴隷商人ディエゴ・ロッペス・デ・リスボアから
ミゲル・ヘローニモ・デ・ポーラスという神父に

八百ペソで売られたことになっている。

その日本人青年の属性として

「日本州出身の日本人種、フランシスコ・ハポン(21歳)、
 戦利品(捕虜)で担保なし、人頭税なしの奴隷を八百ペソで売る」
 (同移民史十八頁)とある。
残念ながら、日本名は記されていない。

 

さらに、『日本移民発祥の地コルドバ』
 (副題「アルゼンチン・コルドバ州日本人百十年史」、
大城徹三、一九九七年、以下『コルドバ』と略)によれば、
日本人青年は一五九七年三月四日付けで、
「私は奴隷として売買される謂(い)われはない。
従って自由を要求するものである」と起訴したとある。

奴隷として売られてから二年後、

一五九八年十一月三日に裁判に勝訴し、
無事、自由の身になった。

裁判所は、
代金の八百ペソを奴隷商人から神父が取りもどす権限を与えている。
「この日本青年は心身共に強健で才能に富んだ傑人と思われ、

それなりに他の奴隷に較べて三、四倍の高値で買い取られている」
 (『コルドバ』十六頁)と考察する。

奴隷として売られた人間が、
「奴隷ではない」と裁判を起こすこと自体、
当時は珍しいだろう。

これが亜国初の日本人公式記録であり、
それゆえコルドバが「南米日本人発祥の地」だという。 
四百十三年前の事実が発掘された発端は、

今から四十年ほど前に、
日系二世も含めた大学生の研究グループが、
同古文書館から奴隷売買証書を発見したことにある。
これが後に、コルドバ大学から
『一五八八年から一六一〇年代迄のコルドバに於ける奴隷売買の状態』
(カルロス・アサドゥリアン著、一九六五年)として出版された。

さらに、八二年に大城氏の依頼により
コルドバ国立大学の図書館から裁判書類が発見され、
当時の日系社会で大きな話題となったという。

 
織田信長や豊臣秀吉が天下人になっていた安土桃山時代に、
いったい誰がアルゼンチンまで日本人を連れてきたのか。

これは南米の日本人移民前史における最大の謎だ。
今ですら、南米までくる日本人は少ない。
まして当時は、どのような経緯で渡ってきたのだろうか。


 
日本人奴隷の謎を追って=400年前に南米上陸か?!=連載(2)
=「小家畜か駄獣のように」=手足に鎖、舟底につながれ 
一五九六年にアルゼンチンで奴隷売買された日本人青年に関し、

大城徹三氏は著書『コルドバ』で、
かなり踏みこんだ分析をしている。

イビウナ市在住の香山榮一さんから送ってもらい、

ようやく読むことができた。

この本には「さてフランシスコ・ハポンという日本青年は、

当時日本との貿易が頻繁に行われていた
南蛮人(ポルトガル人)によって
連れられてきたことが濃厚に示されている。
また正式なスペインの航路を通らず、
ブエノス・アイレス港に入ってきたと推測できる。
ということはスペイン国法に照らし、

奴隷に処せられる条件になかった」(十五頁)とある。

 
これは実に刺激的な説だ。

なぜなら、
ポルトガル商人の手によってお隣まで来ていたなら、
もっと近い、
南米唯一のポルトガル植民地だった伯国にも
日本人奴隷が売られてきていても何ら不思議はない。 
むしろブラジルにこそ多く来ていた、

と考える方が自然だろう。

 

日本人奴隷に関し、
前述の中隅さんは『ブラジル学入門』の中で、
「日本側の記録がないのでわからぬが、
 ポルトガルにはいろいろな記録が断片的に残されている」
(百六十四頁)とし、
外交官でラテン・アメリカ協会理事長だった
井沢実さんの『大航海夜話』(岩波書店、七七年)から
次の引用を紹介している。

 

「インドのノーバ・ゴア発行の
『東洋ポルトガル古記録』の中に日本人奴隷関係で、
 まだ訳されていない重要文書が含まれている。

ゴアにはポルトガル人の数より

日本人奴隷の数の方がより多いなどということはショッキングである」

中隅さんは書き進め、

「日本人奴隷は男よりも女が好まれた。
行き先はゴアを中心とする東南アジアだが、
ポルトガル本国にも相当数入っている」(前同)と記す。

『近代世界と奴隷制:大西洋システムの中で』

(池本幸三/布留川正博/下山晃共著、人文書院、


一九九五年、百五十八~百六十頁)には、

次のような記述もある。

「一五八二年(天正十年)ローマに派遣された有名な

少年使節団の四人も、

世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれている

事実を目撃して驚愕している。

『我が旅行の先々で、
 売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、
 こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に
 (同胞の日本人を)手放す我が民族への
  激しい念に燃え立たざるを得なかった』

『全くだ。
 実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら
 童男・童女が、
 世界中のあれほど様々な地域へ
 あんなに安い値でさらっていって売りさばかれ、
 みじめな賤業に就くのを見て、
 憐憫の情を催さない者があろうか』といったやりとりが、
 使節団の会話録に残されている」

 

少年使節団(一五八二―一五九〇年)が
イエズス会員に伴われて欧州に出発したのは、
「本能寺の変」と同じ年だ。

日本にいたポルトガル人宣教師は、

同胞商人による日本人奴隷売買をひどく嫌がり、

本国に取締を要請し、
一五七〇年九月二十日に
ドン・セバスチォン王は禁止令を出したが効き目はなかった。

 

「この現象を嘆いて、
 ポルトガルの碩学、アントニオ・ヴェイラはこう言っている。
『法律というものはあっても、
 違反者は絶えないものである。
例えば日本人を奴隷にすることを禁止する
法律が制定されているにも拘わらず、
ポルトガル国内には多数の日本人奴隷の存在する事実によって、
これを証することが出来る』」
   (『入門』百六十五頁)と中隅さんは例証する。

 
禁止令の二十六年後にアルゼンチンで奴隷売買された
フランシスコ・ハポンの存在がまさにそれを実証している。

現在の伯国に通じる法律軽視の気風は、

すでにこの当時の宗主国にはあった。

「秀吉の側近だった大村由己(ゆうこ)は

『日本人男女数百名の多数を黒船に買取り、

 手足に鎖をつけて舟底に追い込み、
 地獄の責苦をあたえ………』と憤慨して書いているから、
一船当たり、二百名位は積んだらしい」(前同)と記す。


まるでサルバドールの奴隷市場で売り買いされた

黒人と寸分変わらない様子で、

日本人も扱われた歴史がある。
このこと自体、一般にはあまり知られていない。
次回に続きます・・・・。
長崎の古い教会群が
「世界遺産」に登録を申請することが決まったようですが
キリスト教徒と宣教師、
そしてキリスト教徒の大名が行った日本人奴隷貿易は
キリスト教受難史観により 
無視されています。

十数年前から日本人奴隷貿易について 
拙ブログで発信してきましたが
最近漸く
ネット上に日本人奴隷貿易についての
考察が載るように成って来た事は喜ばしい事ですが
「世界遺産」登録申請の前に
通史に疑問を持ち 
せめて 
「日本人奴隷貿易発祥の地」の慰霊碑を立てるべきと考え
今一度 深沢記者が推敲し 
再度ネットに載せた記事を紹介したわけです、
次回又続を載せます。
                  

奴隷じゃないよ~、あたしだよ。

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by monk-1 | 2016-08-16 12:23 | Comments(0)

こんな お話しも

お盆休みに入り街は静かになりました。
明け方所定の位置にツバメが止まり 私の方を見ています、
「お盆休みなのにどうしたの?」・・・・フン 余計なお世話ですよ。


オリンピックも半ばが過ぎて 日本も頑張っているようです、
銃で争わず 競技で争い、負けた方は4年後に捲土重来を期すとか、
そうなれば良いのですが、


ロシアはロシア本土から重爆撃機を飛ばしシリアの反政府勢力を攻撃しています。
トルコのエルドガン大統領はロシアのプーチン大統領と会談し
ロシア機撃墜以来冷え込んでいた関係を復活させたようです。以下に引用
「そしてトルコはロシアの勧告に従ってシリアのアサド政権を黙認し、
ロシアのIS空爆を容認する構え、これはトルコ外交の大転換以外の何ものでもない。
アサド政権打倒を叫び、多くのIS志願兵のトルコ経由シリア入りを黙認してきた
基本方針ががらり変更するわけだ。
従来、トルコはISの石油密輸を手助けし、
あるいはIS要員がトルコ経由でシリア領内に潜入するルートを根絶せず、
西側との協調を装いながら、独自の軍事行動を取ってきたのだから。

 そして極めつけがある。
ロシアにとっては「トルコがNATOから脱退する」ことが本音の希望である、
ロシアのメディアが一斉にトルコ、NATO離脱かという観測記事を連続して掲載し始めている。
「NATOはトルコを失うだろう。それはひとえにNATO同盟のミステイクから起きるのだ」
(英文プラウダ、8月11日)。

非合法に政権を掌握しようとした軍事クーデタは「法治の原理に背く」として
西側はトルコの民主主義を称賛したが、
その後の反対派への弾圧に対しては一斉にエルドアン批判を展開してきた。
軍人、警官、教職人、公務員およそ76000名のパージは
「民主主義の手続きを踏んではいない」として非難してきた。

すっかりつむじを曲げたエルドアンが、これみよがしにロシアとの蜜月を演出するのは、
外交的牽制であり、またNATO諸国への外交カードでもある。

だが最初は小さな歯車の狂いも、修正が遅くなればなるほどに修正不可能となる。
エルドアンの暴走を西側は放置するのか。」引用終わり
撃墜事件を謝罪し、賠償金額も決めました。
パラシュート降下中のロシア空軍機のパイロットを
射殺したシリア反政府軍の兵士を捕らえ、裁判にかけるようです。
これでサウス・ストリームが決まり、トルコ、ギリシア経由のパイプラインで
ユーロに石油、ガスを送り ウクライナを通るパイプラインは無駄になり
ウクライナは送油菅の通行料は入らなくなります。
イラク、イラン、シリアも石油の輸送に使うようで、
アメリカが描いていた湾岸諸国の石油・ガスをシリア経由で送ると言う計画は頓挫しました。
シリアの拒否に遭い、ならば政変を起こしてしまい
シリアのアサド大統領を追放しようとしましたが、ロシアの介入で
アメリカ(国際金融資本)の強引な計画は白日の下に晒されてしまい、
アメリカ国民の知る所となり、これ以上無理な軍事展開が出来なくなりました。
オバマ大統領の元々軍事嫌いもあり シリアの内戦状態もロシアが主導権を執りました。
トルコは「ガザ騒乱」以来 途絶えていたイスラエルとの国交も回復させるようで
仲介にはロシアが入ったようです。
今までの中東地図とは別の中東の力関係が生まれてきたようです。
イスラエル、サウジアラビアのアメリカ離れ、
そしてトルコは直ぐにNATO脱退しないでしょうが、
ユーロ加入は諦め ロシアと組み始めたようです。
ドイツ主導のユーロもイギリスが脱退を決め、オランダも離脱を国民投票で決めるようで
東欧のハンガリーも国境を封鎖しシエンゲン協定は無くなったと同じ状態です。
ドイツは非難していますが 同じ難民問題を抱えるマケドニア、チエコも冷たい視線を
ドイツに向け始めています。
メルケルの支持率も大きく下がり 今選挙を行うとメルケルは退陣になるでしょう。

当初はエネルギーを巡る争いだったのですが、
裏で資金、資本を束ねる国際金融資本家が描く 国際関係の地図が大きく変るようです。

オリンピックの報道で誤魔化している 日本のマスゴミですが
尖閣諸島に中国海警公船が当初は数隻でしたが、日本が抗議する度に増え続け
12隻も領海侵犯を繰り返し、挙句偽装漁船が400隻も排他的経済水域を伺っていました、
一回出漁すると中国政府から200万円貰え 
木造の漁船を鋼鉄製に改装費用も中国政府が出すと言う 海上民兵と言うのが相応しく
尖閣諸島を事実上中国政府の管轄化に置こうと 露骨な進出を繰り返していましたが、
なぜか日本のマスゴミは一行も報道しない所もあり
何処の国のマスコミか?頭がおかしいとしか言いようがありません、
挙句 尖閣沖でギリシア船籍のタンカーと漁船が衝突し沈没してしまいましたが、
中国海警局の公船はいなくなり、漁船もいなくなってしまいました。
海に投げ出された乗組員14名のうち6名は日本の海上保安庁が救助しましたが
残り8名は 見つかっていません、
同胞を見捨てて遁走する中国船、道義も、海の男のモラルも国際条約で決まっているのですが
あの国のヒトには 通用しないようです、
南京事件と捏造している問題の 本質も見えてきますね、
一番先に逃げた軍のトップ蒋介石、
捨てられた兵士達は便衣兵で、軍服を脱ぎ捨て一般人を装い南京市内で
暴行、掠奪、同胞を殺しまくり残虐な事を行いました。
日本兵がなどと 嘘を付き捲って 捏造していますが、中国人の本質は変らないですね。
半島のエベンキ族(アムール河中流域に住み掠奪と狩猟で生活)の末裔 朝鮮人も同じです。

それにしても日本の報道は如何にかしないといけませんね。

オリンピックのお話しですが ブラジル日系社会の新聞から

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柔道=ラファエラが五輪で金=涙を超えて掴んだ栄光=ファヴェーラの人にも夢

?2016年8月10日New!
表彰台の上で感極まり、涙を流すラファエラ(Roberto Castro/Brasil2016)      

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リオ五輪4日目(サッカー女子から数えれば6日目)の8日、
柔道女子57キロ級のラファエラ・シウヴァが伯国待望の初金メダルを獲得したと
8日付サイトや9日付伯字紙が報じた。
伯国に最もメダルをもたらしてきた種目、柔道で、
ロンドン五輪金メダリストのサラ・メネーゼスらが続けざまに破れた後、
柔道ならびに伯国に最初の金メダルをもたらしたラファエラは、
ロンドン五輪では第2戦で破れ、様々な中傷、暴言に泣いた人物だ。
リオ市西部のスラム街(ファヴェーラ)「シダーデ・デ・デウス」出身のラファエラは5歳の時、
姉と共に柔道を始めた。
現在も、アテネ五輪金メダリストのフラヴィオ・カント創設の非政府団体(
NGO)「レアソン」に所属している。
姉は膝を痛めて柔道から離れたが、ラファエラは頭角を現し、
08年には20歳以下の世界チャンピオン、11年の世界選手権で準優勝など、
ロンドン五輪には期待されて臨んだ。
だが、終始優勢で、技ありまで取ったのに、
足を掴んで技をかけたと判断されて反則負けとされたのだ。
意気消沈するラファエラを更に鞭打ったのは、
インターネットでの「伯国や家族の恥」「サル」
「サルは檻の中にいろ、五輪はおまえの場所じゃない」といった暴言だ。
一時は引退も考えた彼女を思いとどまらせたのは、
「レアソン」のボランティアの「2年間柔道を離れたと考えたら」という問いだった。
「自分には柔道は捨てられない」と気づいたラファエラは、一念発起して練習に励み、
13年4月の汎米大会で金、同年8月の世界選手権でも伯国女子選手では初の金を獲得した。
その後は、14年、15年とランキングが墜ちたが、
伯国にメダルをと願って練習に打ち込んだ結果、
ロンドン五輪で破れた相手も含む強豪を倒し、決勝に進出。
モンゴルのスミヤ・ドルジスレンを破った後は、歓喜のあまり膝から崩れ落ち、
表彰台でも涙を流した。
 
ファヴェーラ出身の黒人でありながら、特別枠などに頼る事もなく、海軍に入隊。
ラファエラの試合をテレビで観戦していた「レアソン」の関係者も歓喜に包まれ、
「ラファエラは皆に人を信じる事の大切さを教えてくれた」と語った。
「私がどれほど苦しみ、どれだけの事をやってここまで来たかは神様だけが知っている」と
五輪のマークを腕に刺青したラファエラ。
その胸に飾られた金メダルは本人に、
これまでに流した涙と汗に報いて余りある喜びと感慨を与えただけでなく、
貧困や差別、暴力に泣く人々にも大きな希望を与えた。
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http://www.nikkeyshimbun.jp/2016/160810-22brasil.html
オリンピック会場の直ぐ側にある ファベーラと呼ばれるスラム街
オリンピック会場の一部(馬場)にも銃弾が飛び込んできて、警備の為に地方から来ていた
警備の為の警察官が地理に不案内で間違えてファベーラに入ってしまい
頭を打ちぬかれて死亡したそうです、
折からファベーラでは 麻薬取引を巡り ギャング同士が縄張り争いをしているとかで
ブラジル政府は抗争中のギャングを取り締まる為に軍の出動を決めたそうです。
銃弾の下で子共達が生活していると言う、惨しい環境で育ったのですね。
そして こんなお話しも
《黒人女性、貧困、リオ五輪初の金メダル、ブラジルの顔》―
スペイン「エル・パイス」紙ポ語版10日付電子版はそう報じた。
柔道家ラファエラ・シルヴァの金メダルは伯国のものだが、実は日本の〃勝利〃でもある。
日本の日本人にも心から喜んでほしい
▼彼女はリオ市郊外の巨大貧民街「シダーデ・デ・デウス(神の町、以後CD)」
という皮肉な名を持つ場所に生まれ育った。
奇しくも開会式の演出責任者、映画監督フェルナンド・メイレレスの出世作『CD』は、
その町の子供が凶暴な麻薬密売人になる姿を描いたもの。
2年前のW杯直前に公開された彼の弟子監督が作った
映画『Grande Vitoria(偉大な勝利)』は
貧困・非行から柔道で立ち直った伯人の実話。
開会式から始まり、今回の金メダル獲得劇はどこか『CD』の続編を見ている趣がある
▼ラファエラは幼いころからケンカ早い乱暴者として知られ、
社会適応させる意味で柔道NGOに入った。
その出会いがなければ、
『CD』に登場する犯罪集団の一味になっていてもおかしくない環境で育った。
だが柔道の素質を見出され、ロンドン五輪では2回戦敗退
▼その時「このサル野郎」「お前の居場所は畳の上じゃなく檻の中だ」的な
黒人差別メッセージをネット上で多数受け、柔道を諦めようと思うほど落ち込んだ。
周りの支えで気持ちを持ち直し、今回は金メダル。
まさに社会格差と人種差別の困難をスポーツで乗り越えた女性闘士の姿そのものだ
▼才能があっても磨かなくては光らない。
磨くための原動力は、逆境を乗り越える精神的なバネとそれを方向づける哲学だ。
そこに日本移民が伝えた柔道があった。
一歩間違えば犯罪者になったかもしれない乱暴者が、柔道に出会って五輪メダリストに。
本当の国際貢献とは、金ではなく、そのようなものではないか
▼彼女の初金メダルを報じた伯国最大のTV局
グローボの電子版記事「Somos Todos Rafaela(我々は皆ラファエラだ)」には
なんと230以上のコメントが付いた。とんでもなく共感が広がった。
どの局でもコメンテーターが「彼女は我々の模範」「彼女の生き方を学べ」と連呼する。
多くの貧困な子供らが、彼女を「希望の星」と思って後姿を追う。
どれだけの子供たちが柔道で救われるか。
意図せずに彼女は、日本哲学をさらにブラジルに根付かせる決定機を地元五輪で作ってくれた
▼今後、リオ五輪を語るたびに、ラファエラの英雄譚がきっと出てくる。
その時には、必ず「日本が教えた柔道哲学」という背景や想いが織り込まれて伝わる。
「もっとこの精神をブラジルに広げなくては」という先に日本があるという方向性を、
彼女は作り出してくれた
▼日本にとっては、日本人選手がとるメダルだけが関心事かもしれない。
でも、より国際的な見方からすれば、スポーツを通して日本の影響力や思想が広まることの方が、
本当の意味での〃勝利〃だと思う
▼彼女が決勝戦を制した直後、大歓声で応援してくれた観客の方に向いて、
崩れるように正座して感謝の意を表現した。
あれはブラジル的な表現ではない。
東洋の匂いがする

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▼そして試合場から降りたその足で、まっさきに抱き着いたのは日系人の柔道指導者だった。
戦後移民・石井千秋がミュンヘン五輪で初メダルをもたらし
「俺たちにも手が届くはず」という自信を与え、
講道館有段者会のメンバーが絶え間なく日本と交流を繋ぐ中で、伯国最大の五輪メダル獲得種目に育った
▼難しい世界情勢の中で、親日国を育てる意義は大きい。メダルにも、スポーツにも国籍はない。
「あれも日本のメダルだ」と懐深く喜べる日本になって欲しいと心から祈念する。(深)

もう一つ珍しい砂猫の話です。
研究者は初めてアラブのスナネコ(Felis margarita harrisoni)の生態観察に成功したそうです。
このネコはアラビア半島の砂漠に生息している珍しい動物で
論文は『European Journal of Wildlife Research』に掲載され、
英科学誌『ニュー・サイエンティスト』に報じられた。
砂漠の環境は多くのスナネコには食物の捕獲も大変で生活には適していないのですが、
さらに、このネコは人間による乱獲によって急速に絶滅へと向かっている 絶滅危惧種なのです。
このスナネコは水を飲まず、獲物の血を飲んで渇きを満たすことが知られている。
人とこのネコが最後に遭遇したのは10年以上前のことだ。      
        
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家猫と違い精悍ですね・・・・・。

あらっ 双子なの?あんた達、  いいなあ~~。
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by monk-1 | 2016-08-13 13:04 | Comments(0)

ハンターだそうです。

昨夜からBSもケーブルTVも オリンピック放送が主流のようです。
見たい競技だけ チエックしておいて 後は普通のニュース番組を見ています。

アメリカの大統領選挙は あいも変らず酷い状態で
あのトランプと言う詐欺師まがいの人間の 無教養、知性の無さは救われませんね。
イスラム教徒の米軍兵士が殉職し、
両親が演壇に立っているののを見て、母親を揶揄、中傷したところ
思わぬ反撃にあい、
元兵士から「パープル勲章」を貰ったりと、大統領選とは関係の無い事で
全米から非難を受けています、共和党の主流派からも
半分諦めに似た声が続出し 
クリントン候補との支持率の差も大きく開いてしまいました。

タブロイド紙は しつこく元モデルの奥さんの昔のヌード写真を表紙に載せたり、
長男がかって大物ハンテイングに凝っていたと、
自分で射殺した野生の豹や、様々な大型希少動物を狩し
クロコダイルの写真と供に笑いながら写っている息子を、
野生動物保護団体は一斉に抗議の声命を出したりと
いや、はや、アメリカと言う国も・・・・・・・~~~。ですね。

そんな中 CNNは速報の一面に 金メダリスト萩野選手の写真を載せていました。
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LIVE: Japan's Hagino gets first swimming gold of Rio
初日から凄いですね 金メダルとは、

トランプの馬鹿息子のハンテイングとは別に
かって色々なハンテイングが在ると拙ブログで紹介しました、
コメット・ハンター、メテオライト・ハンター、彗星や隕石を探す人たちの事です。
又、トレジャー・ハンター(財宝探し)やオーキッド・ハンター(新種の野生蘭を探す人)
其の他にも色々な・・・・・ハンターと言う人達が世界中にいます。

大航海時代には様々な新しい土地を探し、植民地にしていくわけですが
特に英国人はその土地の目新しい植物が新たな産業になると知り、
長い船旅に耐えられるように 新種の植物の押し花を作り、
植生している状態を ボタニカル・アートとして描き本国に送っていました。
エジプト、インド、そしてアメリカへ伝えた綿花、南米からアフリカへ移植したカカオ
その他 小麦やお茶(紅茶)麻袋の麻も
夏の暑い盛りに 麻のスーツは涼しげですね。
何度も洗濯すると麻色が落ち 白っぽくなり 
直ぐ皺がよる麻のスーツは憧れでした。

ロンドンにある王立植物園は植物ハンターが活躍した、其の時の名残でしょうね。

ナショナル・ジオグラフイックにイギリス人が今も捜し求めている
幽霊蘭のお話が載っていました。
オーキッド・ハンターは健在のようです、
幽霊ラン、学名「エピポギウム・アフィルム(Epipogium aphyllum)」(Photograph by blickwinkel/Alamy)
ゲームの始まり
近頃、街にはスマホ片手にポケモンを探す人々があふれているが、
それに負けず劣らず、
古くから続いてきた「レアもの探し」に熱中する人々が大勢います。

「幽霊ラン」。見つかったかと思うと消えてしまう。
数十年間、森の中を探しまわっても見つからず、希望を失いかけたころに、
また突如として姿を現す。
親指ほどの大きさで、葉が一枚もなく、英国で最も希少な植物で、
発見されるたびに植物マニアが大騒ぎするわけです。
事の始まりは1855年、英ヘレフォードシャーに住むアンダーソン・スミス夫人が、
小さな花を見つけたことから始ります。
その花はシダやイラクサの影に隠れるように咲いていました。
彼女がその花を摘みとり、地元に住む植物マニアの男性に見せたところ、
彼はこれを学名「エピポギウム・アフィルム(Epipogium aphyllum)」という
葉のないランだと言ました。
これはノンフィクション『蘭に魅せられた男』に登場する
希少ラン「ポリリザ・リンデニイ(Polyrrhiza lindenii)」や、
日本で見つかるユウレイラン(Didymoplexis pallens)とは別ものですと、
イングランドで見つかったのは初めてだったため、
このランは展覧会に出品されたが、その後見当たらなくなってしまいました。

地元の新聞記事にはこうある。
「展示室を片付けるときに誤って駄目にしてしまったらしい」・・・何とももう~~。
その後、幽霊ランはいっこうに見つかりませんでしたが、
20年後、最初に見つかった場所から遠く離れた森の中で2例目が発見されました。
それからさらに20年経って、3番目の目撃情報があり
第1次世界大戦が終わるころには、幽霊ランは数十年に1度だけ、
あるときはスコットランド、またあるときはイングランドやウェールズに
突如として現れるというのが定説になっていました。
植物愛好家たちは、幽霊ランが次はどこに現れるのか、
何がその種子を運んでいるのか、大いに頭を悩ませていました
ハエなのか、ミツバチなのか、鳥なのか。正解は誰にもわかりません。
(確かに実生で育てる場合には 根に付着している蘭菌の助けが必要だそうで
 古い蘭の根を切り取り埋めて置くと良いそうです)
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英バッキンガムシャー州で撮影。1986年。(Photograph by Robin Bush, Getty)

森の中を散策中の植物ハンターのヴェーチエル氏が
偶然会った女の子から花を貰いますが、なんと其の花こそ大勢の人が探し回っている
幽霊蘭だったのです。
興奮冷めやらぬひとときだった」とヴェーチェル氏は書いています。
「すぐにタクシーが呼ばれ」、探索チームが森の中へ入って、
花をつけている幽霊ランが他にもないかと探しまわったが、何も見つけられなかった。
彼らは近所を訪ねてまわり、幽霊ランをくれた女の子の住所を手に入れた。
訪ねてみると、女の子はなんとランをもう1本持っていた。
ドゥルース氏は女の子に、これが大発見であることを知らせ、
研究のためにランを譲ってくれるよう頼み込んだが、
彼女は頑として首を縦に振らなかった。

1926年には、幽霊ランの噂はすっかり有名になっており、
ラン探し競争は激しさを増していく。
ウェールズのカーディフ国立博物館には、
熱心な植物ハンターであったエレナー・ヴェーチェル氏の日記が残っており、
5月のある朝、ロンドンの大英博物館の職員が
友人のフランシス・ドゥルース氏を訪ねてきたことが興奮気味に記されている。
博物館員は、何か新しい発見がなかったか尋ねるため、数年ぶりに来訪したのだった。

地元の植物ハンターであるドゥルース氏の家には、
ちょうど、森から採ってきたばかりの幽霊ランが花瓶に挿してあった。
小さな女の子からもらったのだという。
博物館員にラン探しを依頼されたドゥルース氏は、
件の日記を書いたヴェーチェル氏を呼び寄せたのだ。


しかし、ランを見つけた場所まで案内するのは構わないと言ってくれたので
ドゥルース氏とヴェーチェル氏は、女の子と森へ戻りました
ところが、その付近を懸命に探しまわっても、何も見つからない。
さらに数日後、ヴェーチェル氏はもう一度現場に戻って土を掘り、
細根から新しい芽が伸びていないか確かめたが、収穫はありませんでした。
待っていても花は咲かない、ここでゲームオーバーだと。

左:エレナー・ヴェーチェル氏とヴェーチェルが描いた幽霊ランの絵
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(素養として この程度のボタニカル・アートが描けるんですね)


幽霊ランは1950年代と80年代にも発見され、その後23年の空白期間をへて、最後に目撃されたのは2009年のことだ。オートバイ会社のオーナーで植物ハンターのマーク・ジャニンク氏が、てっぺんに小さな白い花をひとつだけつけた幽霊ランを1本探しあてた。高さはわずか15センチで、英インディペンデント紙の記事にはこうある。「とても控えめな姿だった。数メートル先からでは見えないほどだ。見つけた瞬間、ジャニンク氏は叫んだ。『ああ、こんなところにいたのか!』」(参考記事:「世界最小のランを偶然発見、エクアドル」)

ある博物館のサイトに掲載された記事には、ジャニンク氏が数カ月間、
幽霊ランを探し続けていたと書かれていて
「彼は過去の幽霊ランの目撃情報をもとに、
ランが好む環境、開花の時期、天候のパターンなどを精査し、
可能性の高い地点をウェストミッドランド州の10カ所に絞って、
2009年の夏の間、そこを2週ごとに訪れて
そして9月、彼はついに小さな幽霊ランを発見した。
植物学者らは大いに沸き立ちました
幽霊ランは2005年、正式に絶滅種とされていたからです

こうして幽霊ランはよみがえった。
偉大な科学作家、リチャード・フォーティ氏はこのランについて、
おそらくは英国で最も見つけにくい植物だと書いている。
「花が背後にある葉にほぼ完全に紛れてしまう」為に
幽霊ランは半透明で、周囲の色に紛れてしまい、
さらには何らかの手段で遠くまで移動できる。
まさに「幽霊」だ。
「あれほど小さな種を持つ植物が、どうやって驚くほど遠い場所に現れるのか、
これまでに読んだ文献では説明がつかない。
不気味だとすら感じる」

不気味といえば、幽霊ランには葉緑素がありません
森に生えるほとんどの植物には緑色の細胞があり、
これが光合成をして太陽の光と空気から糖をつくり、エネルギーを得ているのですが
しかし幽霊ランは光を必要とせず、
他の植物が育つことができない暗闇で大きくなる。
これまでは幽霊ランの生態も謎だったわけだが
(実は下に生えたキノコから栄養分を盗む腐生植物(菌従属栄養植物)と判明している)、
何よりもすばらしいのは、このランが今も生き残っているということです。

過去150年間、幽霊ランは人々を挑発し、
もてあそび、暗闇に隠れ、死んだふりまでしてきた。
人々はいつしか、幽霊ランが長い間見つからなくとも、
どこかには存在し、じきに姿を現すはずだと信じるようになってきた。
現代にまだこうした謎めいた話があるのは、なかなか興味深いと
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文=Robert Krulwich/訳=北村京子
イギリス国内だけでなく、中南米の山奥の人跡未踏の地や 台湾高地等にも
新種の蘭を探す オーキッド・ハンターがいるそうです、
多くは発見すると 交配を重ねて新種の園芸品種となり市場にでるようですが、
市場価値は物にもよりますが、数十億規模にもなるそうです。

お宝探しも 大変のようです。
     見つけたよ~~。
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by monk-1 | 2016-08-07 16:35 | Comments(0)

梅雨は明けた筈なのですが、はっきりしないお天気ですね。
何時から?”ゲリラ”豪雨なんて呼ぶようになったのでしょう、
ニュースでは、突然の夕立にずぶ濡れの人たちが 
小走りに行きかう様子が映されています。

都民ではないのですが、都知事選も終わり 少しノンビリしようかな~なんて
考えながら、ネット徘徊していましたら
こんな記事が目に付きました。
さくらの花びらの「日本人よ 誇りを持とう」さんの ブログから 引用です。
http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/34305339.html#34305339
外務省は旧日本軍に罪を着せるのか ~櫻井よし子~
外務省に日本と日本人の名誉を守る気概はあるのか。
強い疑問を抱かざるを得ない。
旧日本軍とは無関係の国際的神父殺害事件を
旧日本軍の犯行であったかのように政府高官に報告し、
中国の対日歴史非難と歩調を合わせるかのような情報操作を、
外務省が行っていた疑いがある。

この神父殺害事件は1937(昭和12)年、
旧日本軍の南京攻略に先立つ10月9日に発生した。
中国河北省正定で、当時フランス政府の管轄下にあったカトリック教会が襲われ、
神父9人(オランダ人神父を含め全員がヨーロッパ人)が殺害された。
世に言う「正定事件」である。
正定事件に関し、中国とオランダは犯人は旧日本軍、
殺害理由は日本軍が女性200人を要求したのを神父らが断ったことだと断定する。
命を犠牲にして女性たちを守った神父は、「徳と聖性の高い福者」であり、
列福して顕彰すべきだと両国が2014年以来バチカンに働きかけている。
世界13億人弱の信者を擁するバチカンの影響力は計り知れない。

官房副長官の萩生田光一氏は外務省に調査を命じると「日本軍は9人を殺害した。
しかし、女性を要求した事実はない」と報告してきた。
だが、外務省報告は間違っていた。
それを私は読者の中林恵子さんと熊岡醇氏に指摘されて知った。
届いた資料の中に
当時の在北京日本大使館員・森島守人参事官の公文書が含まれていた。
これはスイス在住の日本人女性がナントのフランス外交史料館で入手したものだ。
森島公文書は犯行は日本軍ではなく、「支那敗残兵」によるものと明記。
当時、支那敗残兵が正定の教会に避難した人々の中に紛れ込んでいた。
森島氏は次のように記している。
「その後も続けた調査では、
 支那敗残兵の犯行であるとの結論を覆す証拠は見つからなかった。
従って日本政府は当該事件に関する責任を負いかねるのみならず、
占領地で起こったすべての件に関して責任をとりかねる」

犯人は日本軍ではない、支那敗残兵であるとした森島文書は、
外務省欧亜局第二課が1939年2月28日時点でまとめた
「支那事変に関連する在支第三国(英米を除く)財産被害調査表」にも記録されている。
外務省本省も事の本質を十分に知っていた。

ではなぜ、外務省はこの肝心の森島公文書を萩生田氏に見せなかったのか。
外務省の罪は森島文書を見せなかったことにとどまらない。
外務省作成の説明資料で24行中20行が、
必ずしも正確ではない当時の報道や教会報の紹介に割かれている。
「宣教師は正規軍の日本兵によって殺害されたものとの結論に達した」などという
「『タブレット』紙による詳細な記述」なるものも萩生田氏に報告している。
外務省は、先輩外交官の残した貴重な公文書に反して、
日本をおとしめる情報を政府高官に上げていた。意図的な情報操作か。そ
れとも外務省の情報把握能力の問題か。

「南京大虐殺」「従軍慰安婦」という歴史の嘘で日本を貶める。
そのためにはユネスコ登録も行うシナ。
そして、昨年からまた新たな嘘の歴史で日本を貶めようと、
しかも日本の外務省までが日本を貶める歴史捏造に協力し、
そのためには政府高官への報告も真実を隠してシナの嘘を伝える。

この外務省の人間は帰化したシナ偽装工作員なのか、ハニートラップなのか。
いずれにせよ魂をシナに売った売国奴だ。
ここはしっかりと調査すべきであり、
同時に日本にはどうしてもスパイ防止法が必要である。
「正定事件」はほとんどの日本人は知らない。
知らないから都合よく捏造できるのだ。
シナの言う「正定事件」は、
日本軍が求めた200人の女性の引渡しを拒んだ神父9人が殺害された。
姓奴隷の国ならではの極悪非道な日本人、というプロパガンダです。

日本はこういうのを放っておくと、
やがていつものように女性の数が200人から2万人、20万人と、どんどん増えて行き、
神父9人の数もどんどん増えて行く可能性があります。
支那の工作の巧妙なのは、この捏造をカトリック新聞オンラインに掲載させ、
世界中のカトリック教徒達に「日本人というのは、南京大虐殺や従軍慰安婦だけではなく、
性欲を満たすためには西洋人の聖職者も殺戮していた。
とんでもない性欲キチガイの民族だ」と、
日本のことを知らない人々がそのまま信じかねない。
しかもキリスト信者は世界に13億人もいる。
「正定事件」の真実は、支那残敗兵は山賊となって9人の白人聖職者達を誘拐して、
身代金5万ドルを要求しました。
これに対して日本軍がこの支那残敗兵を追って聖職者たちを救出しようとしたが、
既に誘拐された聖職者達は殺害されていた。
その追悼式を行ったのが日本軍でした。
本来、こういう嘘にはすぐ反論して、
嘘だということを世界中に発信するのが外務省の務めである。
そのために我々は税金を払っているのだ。
その外務省がシナと一緒になって日本を貶めて、
日本の民間人が自腹でその嘘を暴いて発信している。
一体、日本はどうなっているのか・・・

私が事件の全体像を把握できたのは本稿で言及した
民間の人々の情報発掘の努力のおかげである。
本来外務省が行うべき仕事を民間人が危機感に突き動かされて代行している。
この現状ほど、寒心に堪えないものはない。
引用終わり

長い文の引用でしたが、ああ~やはり こうなったか!。

先の大戦で日本軍捕虜として 3年間過ごした 米軍の従軍看護師さんのお話です。
https://www.youtube.com/embed/XUif70x2G4s


今更と言う感じですが 2013・4・24の日に拙ブログにて
西村慎吾さんから届いたメールを紹介し、
カソリック新聞なるものを調べた時の事を書き記していました。
本文は「続 ファクトとフエクト」報道しないマスコミ
参考資料として"「ファクトとフエクトを載せましたので、
覚えている方もいるかと思います。

事実関係を知っていただき、情報を拡散する意味で
興味のある方は、是非お読み頂きたいものです。
西村議員は支持者の、ある女性自衛隊員からの連絡でこのことを知り
メールで知らせてくれた訳です。
何時か、又、あの国の事ですからと・・・予測していましたが、
害務省の役人は 酷いの一言ですね、
ネット徘徊の痴呆老人モンクが 2013年4月に知り、これは問題があると感じ
少し調べただけで 事実が解ったのですが、役人は無能ですね。

閑話休題

フランス議会の議員達がクリミアを訪問したのですが
フランス政府代表団のティエリー・マリアーニ代表は、
ウクライナ記者のクリミアについての質問に激しいトーンで答えたと
マスメディアが報じた。
ウクライナのマスメディア代表が自らの質問で、
いわくマリアーニ氏がロシアに「買収」されたのでは?と質問の形で示唆したところ、
マリアーニ氏は次のような興味を抱き、たずね返した。
「このような質問をするために、あなたにはいくら支払われているのか?」
また、マリアーニ氏は次のようにも述べた。
「あなたがここ、ロシアでそのような卑劣な質問ができるというその事実が、
 ロシアは自由な国であるということを物語っている」
また、マリアーニ氏は、今は「より一層の決意を持ってクリミアを訪れる」と発言し、
問題のウクライナ記者に「完全な軽蔑」をあらわした。.
フランス議員、ウクライナ記者のクリミアについての質問を卑劣だと呼ぶ

フランスの政治家ら、クリミア訪問の真意を明かす
ティエリー・マリアーニ氏率いるフランス政府代表団は
クリミアに29日から31日まで訪れた。
訪問のまとめの記者会見でマリアーニ氏は、
クリミアをロシアの一部として認める必要性を発言した。
© Sputnik/ Alexandr Polegenko
ウクライナ外務省の警告を無視して29日にクリミア入りしたフランス議員代表団は
出発前に記者団に訪問の真意および半島合併にちなむ
アンチ・ロシア制裁をめぐるヒステリーについて語った。
   ウクライナの警告も無視、アメリカも良い顔しないのですが
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この後 フランス議員団は、
美人過ぎる検察官として有名な
ナターリア・ボクロンスカヤ検事と会談し強力を要請されました。
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ポクロンスカヤ検事、クリミアの白鳥保護を望む
「クリミアは何世紀にもわたってロシアの一部であり、
 制裁は状況を変えることができると考えるのは無意味だ。
 問題はすでに解決されている。
 住民投票が行われ、クリミアの人々は自分の意見を表明した。
 クリミアが何であるかに対して制裁を課す理由はない」と
フランス国会外務委員会のメンバー、ジャック・ミイヤル氏と会談し伝えた。
「我々のクリミア訪問は二度目だ。主な目的は現地の現実を確認してくること。
 多くの人がクリミアの状況についてコメントしているが、彼らはそこに行ったことがない。
 常に自分自身の意見を持つことが大事だ。
 まず、半島の状況を見てみたい。
 そして第二に、ポクロンスカヤ検事や宗教当局といくつかの新しい会談をもち、
 住民たちを感じる予定だ」とフランス代表団長、ティエリ・マリアーニ氏。

そして クリミア半島の一部に野生生物の宝庫でもある土地を国立公園指定を行うと、
白鳥の他多くの野鳥が生息する自然を守りたいと検事は伝えました。

あれ程騒がれていたウクライナ問題も東部ドネツク州の戦闘も
西側の報道はドネツク側からの報道が多くなり、
ウクライナ軍の和平合意破りと真実を漸く報道し始めました。
ウクライナは見捨てられましたね、後はIMFを始めとする借金問題が残り、
いずれ 又 ロシアが出て来て金銭問題の解決を委ねるのでしょう。
マフイア2世の ポロシエンコは懐を肥やす閑もないですね。

それにしてもお粗末なアメリカ外交と、引きずり回されたユーロ 特にドイツですね
クーデター失敗後のトルコは トルコ国民の域内の移動の自由を求めていますが、
ドイツはトルコに対して「移民によってEUを脅すのを止めるよう」求め
ドイツは、EUとのビザ体制簡素化のため、
移民のため国境を開くとの警告によってEUを脅すのを止めるよう求めた。
ドイツのガブリエル副首相が、しかるべき声明を発表し、伝えた。
エルドガンの強権的、独裁的なクーデター後の方法は様々な問題をユーロに提供し
軍、法曹界、教育者、マスコミ、
普段から政権に批判的な人たちのリストがあらかじめ作ってあったようで
計数万人が捕らえられたと言う ユーロの新聞もあり
トルコは何処へ行くのでしょうね、アメリカも懸念を示していますが
NATOの加盟国で 基地使用を委ねている手前問題をこじらす訳にも行かず。

スイス政府はユーロ加盟申請を取り下げ、
オランダもユーロ離脱を国民投票にかけるようです。
ドイツ第4帝国の夢も崩壊しそうですね
チェコ大統領、EUにおける新たなテロを予測
その中では次のように述べられている―
「ビザ制度が自由化されるかどうかは、完全にトルコ次第だ。
 ドイツとEUを、いかなる状況であっても、恐喝のターゲットとすべきではない。」

ガブリエル副首相の発言は、最近なされたトルコの
チャブシオール外相の声明に答えるものだ。
同外相は「トルコ人がEUに渡航する際のビザ免除措置が10月までに導入されなければ、
EUとの難民流入抑制に関する合意を破棄する」と警告した。

ユーロもどうなるのでしょうか。
        ポケモン ゲットしようかな?猫には見えているようです。
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by monk-1 | 2016-08-03 13:09 | Comments(2)

森羅万象 気になることを記します